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人生・農業リセット再出発

「一所懸命」

「一所懸命」という言葉がある。
「一所懸命」という言葉がある。一生懸命と書くこともあるが、若干意味合いが異なる。長い平安時代の貴族による荘園制度が崩れ始め、用心棒だった武士たちが台頭して鎌倉時代の幕開けとなる頃、自力開墾によって田畑の個人所有が各地で始まった。が、時代は戦国の下剋上でもある。いつどこの敵に攻めこまれて奪取されるか分からない不安定な時代でもあった。その自分の大切な土地(一所)を、命を懸けて(懸命)護り通す決死の意気込みをいうのである。

 乗務で野良牛が市内を闊歩するインドに飛んできた。週2便のニューデリーで滞在が始まったのは良かったが、次に来る日本からの便が欠航したことから約10日間も日中気温47℃の大地に留まることになった。インドは 1200種以上の身分制度、カーストが残っている。奴隷以下とされた不可触賤民(アンタッチャブル)階層の末裔はその貧困な地位から逃れることはまだ難しい。タージマハールなどの観光地に向かう4、5時間もかかる車の中から、いたいけな裸に近い少女がまだヘソの緒が付いたままの赤ん坊をだっこしているのが、直ぐ近くの貧民窟に見える。視線が重なる。無意識に目をそらそうとするが、どうしても見てしまう。が、その輝く黒目は透き通っていて驚くほど美しい。その環境からは想像もできないほど澄み切って希望に満ちているような眼なのである。土煙が巻き上がる乾ききった褐色の不毛の大地で、豚や羊を追いかけて明るく走り回る子供たち。昔ネパールで出会った人々の眼もそうであった。我々が小さかった頃には日本中どこにでもいたはずの、もう随分前に忘れてしまっていた洟垂れ小僧や赤いホッぺのお姉ちゃんたちを郷愁とともに彷彿とさせるのである。かえりみるに、あの希望に燃える、夢見る美しい瞳はどこに行ってしまったのだろうかと、わが同輩の日本人を見やる。そこには、あなたの夢は何ですか?と問われて、即座に一つも出てこない、シャネルやグッチで着飾った「フル・スタマック、エンプティ・ハート」の人々が傍の座席に大勢いたのである。

 水を張ったバケツにネズミを投げ込み、上から真っ黒い蓋をする。約3分で溺れ死ぬ。同じように別のネズミを放り込み、蓋に針で穴を開けてやるとどうなるか?そのネズミは30分以上も生き長らえる。わずかな一条の光が希望となって10倍も左右するのである。その一線の望みとは何か。生活が貧困であるからこそ、小さな出来事にも喜び感動し、人は夢を見て明日に向かって光明を見いだす。だが、決してそれは精神の貧しさではない。どころか、心は我々以上に豊かなのかも知れない。そこには同じ環境を共有して協力しあっている、肌を摺り寄せあう仲間がひしめいている。環境が心を変えるのではなく、心が環境を変える。

 人もし自ら足れりとせば、貧といえども苦しからず。インドは仏陀の故郷である。そして石庭で有名な京都・龍安寺にある筧の石にはこう刻んである。中央に「口」を配し、上から右回りで「五」「隹」「矢」などと書いてある。「口」を合わせると「吾、唯足れりを知れり」となる。霜にうたれた紅葉は春の桃の花よりもっと赤い。若いときに旅をせねば、老いてからの物語もない。

 豚を飼うには2匹以上でと相場がある。1匹だけで飼うと、競って食べることをしないから本来の豚にならない。貧しくとも、気心の知れた仲間と夜明けまで楽しく夢を語り合いながら飲み明かす心豊かな生活。あなたが護りとおしたい一所懸命とは何であろうか?

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