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【農業経営者ルポ「この人この経営」】
『食べる人のことを考えながら、地域の資産を継承していきたい』
- 農業ジャーナリスト 青山浩子
- 第26回 2001年08月01日
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消極的な転作などやりたくない
今から13年前、木村さんは大学を卒業してすぐに就農した。
「その当時、新規就農者数は最低レベルでした。全国で1200人ぐらいだったと思う。この人数でどうやって日本の農業を守っていくのかと思ってね。まじめに就職活動しなかったのもあって」と木村さんは照れながら言う。
就農をしたものの、生産現場を見渡すと減反、減反で明るい話題はなかった。当時の九郎右衛門農場でも、だだちゃ豆は転作作物の一品目にすぎず、栽培面積も一反歩ほどだった。
今でこそ全国的に知られるようになっただだちゃ豆だが、木村さんが就農した当時は、地元の人が食べるか、県外に出ている地元出身者に贈るぐらいだったと言う。しかし「転作だから仕方なく作るのではなく、前向きにだだちゃ豆に取り組もうと思った」と当時を振り返る。
「僕はとにかくだだちゃ豆が好きなんです。子供のころ、大きなざるに入った豆を、一人で全部食べていたらしいですよ」
豊作による大暴落で、泣く泣く豆を畑に鋤きこんだこともあったと言うが、10年ぐらい前からクール宅急便なども普及し始め、全国に配送できるシステムが整うようになった。
「これなら地場だけで捌くことができなくてもやっていける」
木村さんは、さっそく鞘を外す機械を導入し、だだちゃ豆の面積を徐々に増やしていった。
しかし、自分の好きな作物を作るようになっても、木村さんは釈然としなかった。
「商品としてのだだちゃ豆と、転作作物としての大豆などを比べると、労力のかかり方は何倍も違う」
至って当然のことなのだが、何といっても米どころの本業は米であって、その他の作物は副業に過ぎない。その副業であるだだちゃ豆に労力を投入することに対し、家族を含め、周囲から理解を得るのは簡単ではなかった。
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青山浩子 アオヤマヒロコ
農業ジャーナリスト
愛知県岡崎市生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。日本交通公社(JTB)勤務を経て、韓国延世大学に留学。帰国後、(株)船井総合研究所などに勤務。在職中、農業関連のコンサルティングに携わる。1999年に独立、農業関連のフリージャーナリストとして活動中。著書に、『「農」が変える食ビジネス』(日本経済新聞社)、『農産物のダイレクト販売』(共著、ベネット)、『強い農業をつくる』(日本経済新聞出版社)がある。農業関連の月刊誌、新聞などに記事を連載する一方、茨城大学農学部の非常勤講師、韓国農民新聞の客員記者も務める。
http://aoyama.my.coocan.jp
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