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特集

経営者たちの農業改革 人からはじまる村おこし・町おこし

 魚沼という全国ブランドを差し置いて、「稲田米」と簡素に書かれただけのコシヒカリがこれほど人気を得ているのはなぜなのか。

 伊藤さんは農協を出た時、「食ってうまいといわれる」理想の百姓になろうと思った。でも自分だけがなるのでは、ただのお山の大将で終わってしまう。それではつまらない。自分は途方もない、現実にはやれないと思うようなテーマやノルマを常に持っていたい。農業の世界で、出会ったたくさんの人たちがいる。この地域でその人たちと集団を作り、結果をもたらすまで頑張ろうと思ったそうだ。

「でもまだ途中経過。みんなに欲や向上心が出てくれば、ここでいいという到達点はない」。伊藤さんがそう言うのは、仲間の意識が確実に進化しているからだ。わずか6年でメジャーデビューしてしまったのだから、品質向上のプロセスも半端ではない。伊藤さんは食味計を使った厳選評価で、生産者のコメをランク付けし、買取価格も差をつけた。

 納得いかないと詰め寄る生産者の前に、伊藤さんはコメ袋を並べ言った。「今のあんたのコメはこの2000円の袋にしか入らない。それでも自信があるなら自分で売ってみろ。でもおれはこのルールで、商品力のあるものは売れるというマーケットを作ってきた。だから、今のレベルで満足しないで頑張れば、こっちの 5000円の袋に入る権利があんたにも出てくる」。

 離れていった生産者もいた。だが、いたずらにジャッジしているわけではない。トップの生産者たちの栽培記録を取って、最下位のグループにやってみろというと、次の年、彼らは一気にごぼう抜きする。

「誰でもみじめなところに自分を置きたくない。最下位になったら、布団に入っても夢に見るさ」。だが、自分が努力して学んで、作った結果が好転したら、それは喜びに変わる。70人の生産者がみな、上がったり下がったりを経験した。トップと下位の差は縮まり、全体のレベルもはるかに向上した。

 ところで、伊藤さんは何位ぐらいか聞いてみた。実は数年前、有機肥料を欲張り過ぎて最下位になった。その時はさすがに落ち込んだそうだ。でも翌年は一気に2位に面目躍進、逆に技術者としての信頼を獲得したという。

 品價が評価されるということ、誰のために作るかという具体性が、これまでの農業にはなかった。「百姓が自立するということは、自分が作るという行為の結果も含めて責任を持つこと」。伊藤さんが仲間に向かって語り続けてきたメッセージだ。


「食」のマエストロ集団

 伊藤さん自身、最初はコメがテーマだった。今は野菜や果物もやっているが、いい食をどう提供したらいいかを突き詰めたとき、キーワードは、食からさらに「作る」に進化したという。

 ヨーロッパにはマエストロという職人がいる。靴やガラス細工、ろうそくを作っていた養蜂もそうだ。技術のステータスをヨーロッパ人は高く買う。日本は合理化が進み、安い価格ばかりを追求している。流通の中で、途中のいいものを作るというプロセスが排除されるようになってしまった。

「安全なものを食べて長生きしたいというのは、自分さえ良ければいいという人間の煩悩。一方おいしいものを食べたいというのは人間の本能だ」と伊藤さんは言う。自分たちは技術を磨き、手間隙かけ、オリジナルのものを作る。そこで人間の本能に応えるいいものができれば、売ることに苦労しなくなる。

 これまで生産者は、農産物を作り、売ってきた。でも伊藤さんは食卓から畑を見る。農産物を作ることが先ではなく、売れるものをリサーチして、それを作る技術を磨き、それを支持してくれる消費者からの注文に、期待以上のものを生産する。その信用で人がまた集まってくる。伊藤さんが目指すのは、高いクオリティを売る、マエストロのような技術集団だ。

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