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大泉一貫の農業経営者論

農業に必要な「知」への試行錯誤

農業が如何にクリエイティブであり続けるかが私の常なる主張である。クリエイティブであるためには、様々な「知」を作り続ける必要がある。過去において農民は農業技術に関し非常に知的であった。時代時代の農民の知識が社会を動かし、篤農家や精農家と呼ばれる人々が活躍した時代もあった。しかし残念なことにそれも明治の老農と呼ばれる人達までで、その後の開発力は極端に衰え、ダイナミックな技術開発は殆ど見られなくなった。戦後は長野で生まれた保温折衷苗代を最後に、社会を変えるような開発は殆ど影を潜め、農民と技術開発の溝は拡大の一途をたどった。
1「知」を忘れた農民たち


 農業が如何にクリエイティブであり続けるかが私の常なる主張である。クリエイティブであるためには、様々な「知」を作り続ける必要がある。過去において農民は農業技術に関し非常に知的であった。時代時代の農民の知識が社会を動かし、篤農家や精農家と呼ばれる人々が活躍した時代もあった。しかし残念なことにそれも明治の老農と呼ばれる人達までで、その後の開発力は極端に衰え、ダイナミックな技術開発は殆ど見られなくなった。戦後は長野で生まれた保温折衷苗代を最後に、社会を変えるような開発は殆ど影を潜め、農民と技術開発の溝は拡大の一途をたどった。

 今になって思えば、我が国の農民はこの時点で、技術的知の担い手から経営的知の担い手に転換する必要があったのだろう。

 経営的知の具体例には、オランダの園芸農家やデンマークの畜産協同組合、はたまたフランスのワイン会社などがある。ドイツやイギリスのグリーンツーリズム、スイスやフランスの山岳地帯の農業なども経営的知と呼ばれるものに入れて良い。我が国の農業が早くからその重要性に目覚めていれば、今頃はもっと違った農業ができあがったに違いないのである。

 つまり経営とは、資源を最大限どのように利用するかという知恵の出し合いである。同時にその評価を市場に委ね、消費者の声を聞きながら自らの反省と改革を積み重ねることである。

 しかし残念なことに我が国の農業は、農地所有意識を強め、農産物の単純生産を第一義とする価値観で覆われ、資源利用や消費者指向といった価値観からは遠いところにあった。もっとも土地所有に凝り固まる思想は別に農業に限ったことではなく、高度経済成長時代の我が国の特徴といっても良いのだが、しかし利用と所有が一体化した農業にとってそれは致命的であった。

 どのように致命的かといえば、知恵を出す人が実は所有している人でなければならないとする足かせである。社会には、多様な人々が存在し同時に多様な能力が存在する。農地はないが、農業への情熱とアイデアと実力行使を持っている人は社会に幾らでも存在しうるであろう。逆に、農地所有者が農業での経営知の指揮者であるとする予定調和的発想の方が現実味のないものであることは、今日多くの人々の同意するところである。

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