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【田牧一郎のカリフォルニア稲作便り】
日本の稲作は国際競争力を持てるのか?(その1)
- コメ産業コンサルタント 田牧一郎
- 第53回 2001年09月01日
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これは、私にとってコメ作りを始めた時から今まで、約30年にわたり考え続けてきたテーマです。
私が就農して間もなく、カリフォルニアのコメ作りを見てみたいと考え、研修事業に参加しコメ農場で実習することができました。
そこで感じたことは、とてつもなく広い田んぼ、経営のスケールがとんでもなく大きいこと、日本とは違うことが多すぎて比較にならない・・・ということでした。
本来、その違いを体験から学び取り、日本でのコメ作りに活かしすはずでしたが、残念ながらそこまで考え実行するまでには至りませんでした。
日本とは違ったコメ作りには関心を示しながらも、経営的な部分で何か参考になれば良いと思ってしまいました。それは大きな壁を乗り越えることを諦め、迂回路を探し始めたようなものでした。
しかし、それからも、日本のコメ作りに都合の良い生き残りの迂回路は簡単には見つからず、農産物も国際経済の中で次々と輸入され始める状況になり、コメはどうなるのか?自分の農業経営はどうなるのか?次第に不安が大きくなってきました。
それが約15年程前、突然の日本へのコメの市場開放要求がRMA(全米精米業者組合)から持ち上がり、アメリカ政府もこれを後押しする形で日本への開国の圧力が来ました。
その時から一層深刻に、このテーマと向き合うことになりました。
当然のように農業団体、あるいは経済界のコメ市場開放反対、あるいは賛成の意見が表明され、そして国会の「一粒たりとも輸入しない」決議など、議論は華やかになりました。
私が就農して間もなく、カリフォルニアのコメ作りを見てみたいと考え、研修事業に参加しコメ農場で実習することができました。
そこで感じたことは、とてつもなく広い田んぼ、経営のスケールがとんでもなく大きいこと、日本とは違うことが多すぎて比較にならない・・・ということでした。
本来、その違いを体験から学び取り、日本でのコメ作りに活かしすはずでしたが、残念ながらそこまで考え実行するまでには至りませんでした。
日本とは違ったコメ作りには関心を示しながらも、経営的な部分で何か参考になれば良いと思ってしまいました。それは大きな壁を乗り越えることを諦め、迂回路を探し始めたようなものでした。
しかし、それからも、日本のコメ作りに都合の良い生き残りの迂回路は簡単には見つからず、農産物も国際経済の中で次々と輸入され始める状況になり、コメはどうなるのか?自分の農業経営はどうなるのか?次第に不安が大きくなってきました。
それが約15年程前、突然の日本へのコメの市場開放要求がRMA(全米精米業者組合)から持ち上がり、アメリカ政府もこれを後押しする形で日本への開国の圧力が来ました。
その時から一層深刻に、このテーマと向き合うことになりました。
当然のように農業団体、あるいは経済界のコメ市場開放反対、あるいは賛成の意見が表明され、そして国会の「一粒たりとも輸入しない」決議など、議論は華やかになりました。
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田牧一郎 タマキイチロウ
コメ産業コンサルタント
1952年福島県生まれ。74年、米カリフォルニア州の国府田農場で1年間実習後、帰国、大規模稲作経営に取り組む。89年、カリフォルニアに渡米、コメ作りを開始する。同時に始めた精米会社で「田牧米」を作り、米国内にとどまらず世界中の良質米市場にブランドを定着させた。現在は、コメを生産しながら、コメ産業コンサルタントとして活躍する。
田牧一郎のカリフォルニア稲作便り
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