ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

江刺の稲

現在を守るより未来を創ろう

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第69回 2001年11月01日

  • この記事をPDFで読む
    • 無料会員
    • ゴールド
    • 雑誌購読
    • プラチナ
最近の東京では「焼肉屋」ではなく「韓国家庭料理の店」という食堂が新宿から大久保、高田馬場辺りで珍しくない。数年前まで、それは日本に働きにきている韓国人に向けた店だった。今でもそこには韓国語が飛び交っているが、すでに客の多くは日本人だ。外見上は日本社会に同化しているように見える在日韓国・朝鮮人の人々とは別に、新来の韓国人と韓国文化が驚くような勢いで日本の社会の中で新しい地位を得始めている。
 最近の東京では「焼肉屋」ではなく「韓国家庭料理の店」という食堂が新宿から大久保、高田馬場辺りで珍しくない。数年前まで、それは日本に働きにきている韓国人に向けた店だった。今でもそこには韓国語が飛び交っているが、すでに客の多くは日本人だ。外見上は日本社会に同化しているように見える在日韓国・朝鮮人の人々とは別に、新来の韓国人と韓国文化が驚くような勢いで日本の社会の中で新しい地位を得始めている。

 そんな。“食文化”や人々の店で“働く姿”から韓国や韓国人に共感を持ち始めていた僕が、韓国に行って来た。釜山(プサン)市近郊で日本向けに野菜を出荷している農家と農協を訪ね、また、ソウルで農業研究者やジャーナリストたちと会った。

 NHKによる韓国輸出農業に関する報道の後、日本からの視察団が(いかにも敵状視察という雰囲気で)韓国の野菜産地に殺到し、さらに暫定セーフガードの発令、残留農薬問題や輸入農産物に対する税関による通関の量的規制などから、同国農業界や野菜生産者たちの日本に対する感情は必ずしも良いものではないと聞いていた。しかし、現地を案内してくれた韓国農協中央会や各農協の担当者、あるいは農民新聞の記者諸氏、そして新しい農業経営にチャレンジする同地の農業経営者たちは(お目にかかった人々に関する限り)日韓農業の間にある現在の困難を冷静に見つめ、そのギクシャクした関係を乗り越えて、共に新しい未来を作り上げていこうという意思と勇気に満ちた人々であると僕は感じた。

 釜山から1時間ほどの場所にあるハンリム農協で1100坪のハウスでナスを作る韓国人農業経営者であるシム・ヨンチョルさん(53歳)は開口一番にこう言った。

「日本政府や農家が韓国からの輸入野菜に神経質になり、日本の農業を守るための対抗措置を考えるのは理解できます。日本の国益を守るという立場で言えば当然のことだから」

 韓国農業経営者としての彼の言葉は、日本による韓国の農産物輸出に対する様々な障壁に直面して日本、あるいは日本の農業経営者に反感を持っていると勝手に思い込んでいた僕の予想を覆すものだった。そして、彼は言葉をつないだ。

「しかし、訪ねてくる日本の人たちは皆、我々がすべて国家の輸出補助で生産・輸出を行ってきたと誤解しているのです。マスコミ報道のせいなのでしょう。確かに、このハウスは補助金を使って建てました。でも、その補助金は輸出産品の生産を目的としたものではありません。しかも、現在では低利融資はあっても政府による補助金はほとんどありません。輸出農家に対する物流費についての政府の助力はありますが、日本で報道されているような国をあげて日本に輸出攻勢をかけているというものではないのです。たしかに商社を通じて日本の技術者からの指導も受けました。でも、日本への輸出は我々一人ひとりの新しい経営へのチャレンジに日本の商社からの要望がタイミング良く噛み合ったものなのです」と。

 昨年に比べて様々な輸入規制により大きな減収になっていると言うにもかかわらず、冷静に話すシムさんの成熟した経営者としての精神に僕は敬服した。

関連記事

powered by weblio