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女だからの経営論

アロエのテーマパーク

 通販会社と提携しての全国展開。粉末にして商品開発にも着手した。さらに研修の受講者やお客様を招き入れるバーベキューガーデンも開園……。すべては順調のように思えた。が、

「開園から一年半後、私がそこから身を引かなければならない事情が起きました。離婚したんです」

アロエベラに賭けよう!


 春江さんは自分の本意ではないけれど、3人の子どものうち長男を家に残し、未成年の2人の娘を引き取って、20年過暮らしたその家を出ることになってしまった。

「そのとき私、農業ってこんなものかと思いました。20年やっていても、辞めたときに職歴としての保障が何もない。農家の嫁は、離婚したら農業者の資格がないんです」

 2人の娘を抱え、借家住まいとなった春江さんは、生活費を得るためにさまざまな仕事に出る。レストランの厨房で野菜の皮むき、コロッケづくり…40歳を過ぎた女性が、精一杯働いても月15~20万円にしかならない。元夫から財産分与されたお金もあるが、それを切り崩していくだけなのだろうか…。そこで春江さんは奮起した。

「もう一度農業をやろう。15年間、私はアロエで生きてきたんじゃないか。もう一度アロエをつくろう」

 15年の間に不夜城は20万株になっていた。元夫に苗を分けてくれるように申し入れたが、その願いは聞き届けられなかった。では、何をつくればいいのだろう?

 離婚のウワサはまたたく間に広がった。それを聞きつけて、借家住まいの春江さんのもとに、ひょっこりある女性が訪ねてくる。近所の農家に嫁いでいた韓国人の女性だった。彼女の夫は養豚をやっていたのだが、リュウマチに悩んでいた。それを日本の医者や薬に頼らず、母国伝来の漢方薬と、アロエのジュースで治したという経験の持ち主だった。

「あなたは15年も不夜城、不夜城って、ちいちゃなアロエつくっていたけど、もうこれからはアロエベラよ」

 彼女の夫を治したのは、「アロエベラ」だったのだ。韓国のアロエベラ研究の第一人者金正文氏にも伝があるという。

「なんとか仕度するから、私を韓国へ連れていって」

 こうして金氏に会い、アロエベラの実力を確信して帰った後、春江さんはアロエベラについて猛勉強を始める。

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