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「食」のビジネスパートナーを探せ!

小島理喜雄さん(ウーベルフーズ株式会社 東京都文京区本郷4-37-10)

昭和9年に長野県で6人兄弟の三男として生まれ高校まで長野で過ごす。法政大学法学部を卒業後プラスチック材料会社の日本有機に入社。昭和45年までここで勤め46年独立。当時まだ新しい包材として注目され始めたポリプロピレンを使ったパッケージ会社の(株)日興を設立する。200度以上の耐熱性のある温度に強く応用範囲が広いこの包材も当時は接着技術がなく、自らそれを開発することで広範な食品業界のユーザーを獲得してきた。50年代に入り森永乳業との定型で乳製品を主とする宅配企業のウーベルフーズ(株)を54年に設立する。
Q:独立されるきっかけは何だったんですか。

小島:プラスチックメーカーに勤めていて、つくづくメーカーというのは景気に振り回され、取引先に振り回され不安定なものだと考えていましたが、そんな時にポリプロピレンという素材に出会ったわけです。当時はまだこのフイルム材の接着技術がなくて包材として使えなかったのですが、これができることが分かってパッケージの会社を興したんです。しかもメーカーとしてではなくシステムを売ることを考えました。

Q:つまり、小島さんはシステムのソフトを売る側へ回ったわけですね。

小島:そうです。中小企業メーカーは本当に景気に振り回されます。メーカーとしてでなく企画力や市場開拓力を売ることで着実な基盤を作りたかったんです。そのパッケージを毎年晴海で開かれている包装展に出品したら、何千万と面白いように売れました。包装のシステムを売ったわけです。主に売ったのは漬け物屋さんと魚屋さんです。と言うのも彼等の商品には〇〇という漬け物屋なんだという顔がないからです。袋に屋号が書いてあったってそれは商品の顔にはなりません。△△という魚屋の顔がないんじゃおかしいでしょう、皆同じなんです。展示会に来られたお客様にこれから量販店に自分の商品を売る時に自分の顔を持たなければ売れませんよ、そうアドバイスしましたら、うちのを作ってくれということになるわけです。面白い程売れましたね。

Q:包装展の成果をどう広げられたんですか。

小島:それから私は大洗に営業所を構えましてね。大洗は魚がとれる場所ではないんです。加工所が日本一多いところなんですよ。600軒ありますからね。そこにいってさんざん吹聴しましてね。「こんなことしていたら売れないよ。こういうパッケージを使ってこういうデザインでこういう商品の顔を作らなければダメだね」とやったわけです。最初は大変でしたよ。なんだこいつ、魚なんかとれない長野から出てきてなにを言ってやがるって感じで、俺の商売を馬鹿にするのかって怒鳴られましてね。名刺なんか目の前で破かれるんですから。でもこういう人がいいんですよ。反応がない人はかえってダメですね。一番怒っていた人が、数日すると電話かけてきましてね。おまえ面白いこと言うやつだ、少し話し聞かせろって言うわけですよ。それからは芋蔓式にどこでも話が進みました。結局、商品企画そのものを含めて包装設備と一緒にソフトを売ったんです。シシャモなんかのパッケージはうちが作ったんです。

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