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農業経営者ルポ「この人この経営」

目は見えなくても、“経営”という芸がある

奈良県宇陀郡。京都へも大阪へも電車で1時間の距離。なだらかな山の斜面に沿うように建ち並ぶハウスが見えてきた。坂道を登っていくと、宇陀ガーデンの園主、太田徳昭さんが現れた。「お花を見せていただけますか」と言うと、太田さんは「いまはシクラメンもないしな。あそこの“カンパニュラ”ぐらいかな」。こういいながら案内してくれたハウスに入ると、白と紫の“カンパニュラ”が可愛らしい花を咲かせていた。太田さんはその一つに軽く手を触れて生育状況を確認していた。
 太田さんは目がほとんど見えない。明るさが多少わかる程度だという。だが、話を始めて数分もしないうちに、目が見えないということは私の頭から吹っ飛んだ。小気味いい関西弁でポンポンと話し出す太田さんに圧倒されてしまったのだ。「うちはパートさんが10人いるんだけどね。作業場が広いこともあって始業・終業はチャイムを鳴らすんですよ。だって考えてみーさ。1人が5分遅れても大したことないけど、10人が5分遅れたら50分のロス。これは大きい!」「利益というのは坪数×坪単価×利益率。つまり立方体。それぞれをどう引き上げるかで経営は大きく変わる」

 このままだと太田さんのペースで話が進みそうな気がして、ようやくこちらから質問を切り出した。「なぜ農業を始めたのですか?しかも花で」

 すると「そりゃ儲かると思って。ま、思った通りにはいかんけどな…」こう笑いながらも、太田さんは現在に至るまでのことを話してくれた。


原因不明の病からシクラメン栽培を始めるまで


 太田さんは産まれつき視力がないわけではない。10歳の頃、原因不明の病で視力が衰え始めた。「30歳までに失明する」という宣告まで受けた。原因がわからないため治療方法もなくそのまま視力は衰えていった。「高校を出る頃には墨字(紙に書いた字)が見えなくなった」という。

 太田さんが農業をなぜ選んだのか。

「高校卒業当時、高度経済成長の直前で勤め先はいくらでもあった。だが、私はどこでもというわけにはいかなかった。当時の農業もすでに後継者不足で、周りからもやってみたらとすすめられたんです」

 現在の農業大学校の前身である、「奈良県農業経営者伝習農場」に研修生として入学、寮生活を送りながら1年間農業について学んだ。

 研修を終えて作物を選ぶ段階になって、花、なかでもシクラメンを選択した。ちょうどその当時、県内でシクラメン栽培が広まり始めていた頃でもあった。宇陀ガーデンは標高400メートルの中山間地にあり、夏でも冷涼な気候が花栽培に適していた。「もともと花が好きだったし、独立心が強くて誰かに雇ってもらうのもいやでね」。自宅前に80坪のガラス温室を作ってシクラメンの栽培を始めた。いまから33年前だ。

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