ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

農業経営者ルポ「この人この経営」

100%借地農業、所有者ではなく「経営者」であることの意味

朝靄がたつ早朝5時。浜名湖の湖畔を、ロードレーサーにまたがりフルスピードで駆け抜けていく中年男性の姿があった。ヘルメットにパット入りのスパッツといういでたちは、まるで競輪選手。ちょっと格好いい。葉ネギの生産法人(有)アトップの代表、徳井厚夫さん(50歳)その人である。「みんな注目しません?」「うん。だから坂道でへこたれて、自転車を降りたりしたら格好悪いと思って、もう必死よ」。大きな目をぐりぐりさせて笑う。 このおじさんレーサー、もう1年以上も続けているそうだ。
 一昨年は、農業法人として全国で2番目にISO14001を取得した。それ以後、全国から視察や講演依頼が後を絶たない。今年は県の農業法人会の会長にも就任した。それで出張も増える。まさに大忙しである。それでも「朝寝てるなんてもったいない」と早朝の湖畔に飛び出していく。

 静岡県の西部、浜松市に位置するアトップは、葉ネギに特化した生産で全国屈指の規模を誇る。年間出荷量は約625万t、栽培面積は約10.3ha。その100%が借地である。そして環境ISOへの取り組み。アトップを語る上でのキーワードは多いが、まずは組織の生い立ちから語ってもらおう。


次男坊で農業目指す

 徳井厚夫さんは、農家の次男坊に生まれた。実家の農業は長男が継ぐことが決まっていて、徳井さんは県下でも有数の進学校に通っていた。しかし優秀な同級生に混じってなかなか頭角を表せずにいた徳井さんは、次第にこのままサラリーマンのレールに乗ってもつまらないと迷い始める。

 一方、高度成長期で農業に就く同級生は誰もいない。心の中で「これじゃ日本の食糧問題は危ないぞ」という思いが広がった。当時の徳井さんは剣道に夢中になっていて、懸命に練習すれば段もどんどん上がり、それで自信がついた。「よし、この調子で農業をやるぞ!」と運命の竹刀を農業に振り下ろしたのである。

 高校を卒業して、高収入が望めそうな養豚業を目指す。しかし当時から豚舎の環境問題が取り沙汰されていて、設備に莫大な資金がかかることが分かりあっさり断念。次にハウスでメロン栽培を始めた。これは10年ほど続くが、その間結婚して子供ができるとハウスに手が回らず、規模拡大の夢が遠のいた。

「次男のハンデをつくづく感じた。1人で独立したから、親から受け継いだ農地もないし、親も頼れない」。じっちゃん、ばっちゃんがいてこそ、みなで作業を分担できるのだ。徳井さんには奥さんと自分しかいなかった。

 また、「規模を拡大して数量をたくさん売らなければ、組合では発言権はないに等しい」。メロンの品質では自信があったのに、自分の想いはなかなか伝えられない。

「ハウスメロンをやめる」。きっぱり宣言し、では何をやろうか。自分には資金も土地も何もない。


地主に頭を下げて

「でも待てよ。土地なら後継ぎがいない耕作地が周りにいくらでも転がっているじゃないか」。
 何もなくて悔しかったが、発想を転換すれば、「他人の農地でも、頑張ればできるかもしれない」と思えてきた。

 今度は家内農業ではなく、仲間を募ろうと考えた。若手の仲間4人と協業組合を設立。将来の規模拡大を見越して、作物は通年栽培が可能で比較的栽培が簡単な葉ネギの単一栽培に決めた。しかし20代の若造たちが「土地を借りたい」といっても当然、地主は相手にしてくれない。農家は農地を貸すことには慎重だ。日々高齢者のいる農家を回り説得に明け暮れ、空振りに終わる。

 これでは埒があかないと、公民館に30人ほどの地主を集めて、話を聞いてもらった。「お願いしますと頭を下げると、会場の誰も何も言わない。10分ぐらいながーい沈黙が続いた。永遠のような時間だったね」

 やっぱりダメかと思ったとき、ついにひとりの農家が沈黙を破って、「いいんじゃないか(貸してやる)」と言った。それでその場にいた全員が同意してくれた。徳井さんたちの熱意にほだされたのである。100%借地農業のアトップは、この瞬間に誕生した。

 5年後には、真面目に取り組む徳井さんたちの姿を見て安心した地主たちが、もっと土地を貸してもいいと、わざわざそれぞれの土地を使いやすいように集約し整備までして渡してくれた。施設面積は一気に増え、その後葉ネギの専門法人として全国でもトップクラスの栽培規模になったのである。

関連記事

powered by weblio