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特集

未来づくりのための“創造的”引退論

【明治時代の隠居制度】

 日本各地に様々の形で慣習として伝えられてきた隠居制度だが、法律によるお墨付きを得て、確固たる地位を得たのは明治民法が定められてからのことである。民法では戸主が生前に戸主権を家督相続人に譲渡することをはっきりと定め、その際戸主は満六十才以上であること、また“完全ノ能力ヲ有スル相続人ガ相続ノ単純承認ヲ為スコト”の二条件を満たした場合のみ、隠居を認めるとも明記されていた。

 法律によっていわば“全国区的”存在になったそのパターンを前述の流れで敢えて言えば「都市型隠居―武家型」であり、しかも相続人が戸籍吏に届け出る時点ではじめて隠居の効力が発生するという「届出主義」がその根底にあった。ただしここでも現実暮らしの場面での実態は、そんな四角四面法律がらみの話とはかなり乖離していたようだ。つまり「生きゆずり」こそが本命の隠居制度の本拠地・農村では、相変わらず昔からの慣習が根強く生き残っていた。

 しかもこうした慣習の底には「口も出さず手も出さず、与えることも奪うこともなく、ただひっそり蟄居(ちっきょ)する」といった、それこそ引く、譲るの一番純粋な精神部分に触れるものが脈々と流れていた筈だ。そして各地各様のあり方があったとはいえ、その後も長く生き続ける事になったのである。


【よみがえれ、ご隠居さん】

 さて話は再び二十一世紀ただ今の俗世へ。農業就業人口は相変わらずの減少傾向で、直近統計でいっても平成九~十一年で対前年比二.二%の減。六十五歳未満層で一.五%の増加である。耕地面積及び作付け延べ面積でも〇.八~〇.五%の減少となっている。

 だが我が国の食糧自給率が相変わらず五十%を割り込む情勢の中で、世界全体グローバルな話なら二十一世紀は世界人口爆発なので、食糧不足どころか明らかに食糧危機。それとここ数年のデフレ不況の一層の深刻化、遅々として進まぬ構造改革に嫌気さしての金融危機等々の、産業経済全般不振の背景あってのことだろうか。

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