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特集

未来づくりのための“創造的”引退論


 新規学卒就農者と三十九才以下の就農Uターン組の合計数は平成二年の四二〇〇人を底として、年々順調に回復傾向を見せ、平成十年統計では一万人を超えた。これなどは明らかにホットニュースといってよかろう。それとご存知都会地でリストラにあった中高年層の就農希望者増加傾向とか、「定年帰農トレンド」などもある。

 長く陽の当たらなかった農業・農家にも、どうやら薄日が射しだした感じだ。

 さてマクロの事情はそうだとしても、わが隠居制度が復活しそうな文化的・精神的土壌とか、“譲るべきほどの家督相続”といったカネ・モノに関するシビアな客観状勢がにわかに好転したとの感じはない。しかしここで再びクールマクロな統計など持ち出すとすれば、平成十一年で農家総所得の全国平均八五〇万円。一人当たりの可処分所得一七四万、または全国販売農家貯蓄高平均二七〇〇万余などの数字が目につく。

 これなら今や先の見通し全く立たなくなった一般勤労世帯と比較して遜色あるとは思えない。平成二十二年度に予想される総農家二七〇万戸のうち、「効率的かつ安定的な農業経営」を十五%ぐらいと、むしろ現在よりも好転予想できる側面もあるのだ。

 こんな状況の中で“口は出すが、手もカネも出さない”頑迷老人ばかりが増えたのでは話にならないが、“譲るべきは爽やかに譲り、少々の手は貸すが基本的には口を出さない”賢明ご隠居さんが増えるようだったら、この閉塞ニッポンの一角に望外の風穴があくことになるかも知れない。

「立ち止まる、引く、譲るの価値」について、再び光を当てるべきトキが来ているようである。


 古人いわく「引かざれば見えず。見えざれば分からず。分からざれば生きたことにならず。生きたことなくば真の死に至ること叶わず。真の死に至らざれば、もとより生きた証を得ず。よって“引くこと”こそいのちなれ」。


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