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「遺伝子」の変貌
こうした「形式・長老社会」が形成されれば、リスクに対しても当然に消極的になり、リスクを伴う投資は回避され、「投資を忌避する農業経営」という語義矛盾が生じる。
こうなると農家というのは、農地という社会資本を囲い込み、私的資産として保全しようとする新たな階級となってしまう。
つまりかつては貧困層として階級分類された農家が、耕作者、あるいは自作農という階級を経て、「社会資本の私的保全者」という階級になったといってよい。それを支えているのが「世帯主中心の形式論理」と「長老支配の村社会の論理」である。農業経営として継承される「遺伝子」が消え失せ、「私的資産の維持」という「遺伝子」に転化してしまった。
経営「遺伝子」の創造
農業の成長を考えるには、この「世帯主中心の形式論理」、「長老支配の村社会」を乗り越え、所有の多寡ではなく、知識を生かすチャンスの多寡で考えられなければならない。つまり農業における継承は、資産の継承ではなく、経営知の継承を意味するものでなければならない。ということは、ここで考える経営の継承とは、この30年来、我が国農業界に跋扈した農家の継承とはその論理を異にしなければならない。農業の縮小再生産が始まったのは、こうした知の継承、遺伝子の継承がなされなくなったせいといってよいからである。
これからの農業経営の発展を考えるには、知識を発揮するのにもっとも適合的な仕組みを考え、継承すべき「遺伝子」を創造し続けることである。そのためには、第一に、家族間の継承を越えたもっとオープンなシステムを作ることである。第二に、もし家族による継承をはかるとしたなら、資産の継承と分離した農業経営継承のための遺伝子を創造することである。資産と経営の分離は、家族経営でもさほど困難なことではない。
資産は「遺伝子」がなくても物理的に継承していくが、経営は継承されるべき「遺伝子」がなければ、トップが変われば別の会社になったも同然となる。過激にいえば、「一代一経営」といってもいい。逆にいえば、経営の継承を考えるには、「経営理念」や「社風」といった、伝えるべき「遺伝子」をきっちり持つことである。これは実は後継者をどう作るか、家族経営の継承をどうするかを考える以前に、あるいはそれ以上に重要なことである。結局経営の継承問題は、自分の経営の理念をどう作るかという、自分自身の問題なのである。
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