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特集

未来づくりのための“創造的”引退論


 わが農業経営の分野でも、「農地の権利移動と転用」というのは農地法や農業基盤強化法といった支援背景もあって、戦後一貫した大きな流れであった。それが使用賃借権設定による経営委託だろうと、自作地無償所有権移転であろうと、応ずる例の一番大きな理由が、いわゆる後継者不足及び農業従事者の高齢化にあったことは明らかだろう。

 ただ言わずもがなではあるが、サラリーマンの“早めに退く”昨今の事情にしても、農業方面での“委せる、移す”の傾向にしても、いずれも自らが好き望んでそうしている訳ではない点である。

 少子高齢化―後継者不足、消費不況―バランスシート不況を含む深刻な不景気といった大きな流れの中での、やむにやまれぬ選択の結果なのだ。「譲葉」のように新旧が鮮やかに入れ換わるこその“美”だったりの話ではない。で、もとより“徳”や“福”にはかなりの距離がありそうだ。ただ、「委せる、移す、退く」といったコトの背景には、いささか哲学的ともいうべきメンタルな意識や論理が貼り付いていたからこそ始めて実現したというのも、古今東西を通じての一つの真理である。

 このあたりが少し厄介、そして興味を引かれる点なのだが、ここでもさっと駆け足でその周辺事情を覗いてみることにしよう。


【隠居制度とは】

 日本は封建武家社会以来の伝統なのだが、『葉隠』の「武士道とは死ぬことと見つけたり」を一方の極として、およそ「引く」「退く」「枯れる」「散る」などの独特の美意識があった社会である。それも単に制度・慣習ではなく、意識や美学であったからこそのこととは思うが、引いたり退いたりしないと真実は見えにくいとする一種の信奉が大きく横たわっていたことは事実だ。この信奉が宗教観や(労働)倫理観とも結びついて、広く民衆一般の間にも根を張り、やがてはためらい、立ち止まり、引いたり散ったりするのを一つの理想とする数々の文化を生むことになった。

 この文化の系譜は古くは王朝時代から封建武家社会を経て、江戸町人文化に至るまで長く及んでいた事実は、よくご存じの筈である。

 だがこのあとがいけなかった。明治維新以後ではひたすら近代西欧文明にキャッチアップするためにも立ち止まり躊躇することはたいそうな不人気。ましてや引いたり隠れたりの沙汰は罪悪にもなりかねない有様で、これは戦後の成長・効率至上主義の中で、一層強まる事はあっても下火にはならなかった。

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