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新・農業経営者ルポ

家庭菜園が発掘したブラジル野菜市場

有料にしたら客が来ちゃった

 限界を超えたブラジル野菜人気に 水を差すことを狙って林は一計を案じた。お金を取ったら来る者が減るだろうと考えたのだ。それで、林は「来月からはお金をもらうから」と宣言した。

 しかし、林の思惑は外れた。値段をつけたのをきっかけに、以前にも増して人々が林の畑に集まるようになってしまった。「お金をとる」と宣言したことが客寄せ効果を持ったのだ。彼らはこれまで林に遠慮をしていたのである。お金を払えばよいのなら遠慮は要らない。休みになると大泉町内だけでなく、埼玉、茨城などからワゴンに乗って日系ブラジル人が大挙して来るようになった。

 家庭菜園を始めたのが93年、それから1年半ほどはタダで配っていた。それが惜しいとは思えず、むしろ林の人生の糧となっていた。

 タダでやっていたのが、いきなりお金をとるようになったのだから、喜んだのは奥さんだった。会社の給料には、まったく手をつけないで済むほどの収入になったからだ。

 売るということになって、ますます来る人が増え、畑を増やすと、さらに人が集まるという「悪循環」が続いたと林は笑う。すでに会社勤めの休みにこなせる量ではなくなっていた。近くの農家でつくるのを手伝ってくれる人は居ないかと大家さんにも相談したところ、大家さん自身が最初の委託生産者になってくれた。それをきっかけに、大家さんの親類や知人につくる人が広がっていった。

 97年、会社に事情を話し、兼業農家から専業のブラジル野菜生産者と転身した。

 営業らしきことをしたのは一度だけ。野菜を求めて来る人に対応するのも限界になったので、野菜を置いてくれる店を作るためだった。当時はまだブラジル人向けのスーパーなどほとんど無く、通常のスーパーに、「とにかく置いてくれ。売れ残りは自分で引き取るから」という条件で頼んだ。最初は渋々だったスーパーも、初めて置いたその日のうちに追加を届けてくれと言ってきた。すでにブラジル人が多く住む大泉町では、スーパーの何よりも客寄せネタとなったのだ。その噂は、瞬く間にほかのお店にも広がっていった。

 会社を辞め、大家さんたちへの委託のほかに自分の生産を増やしたものの、それでも間に合わない。それで、大家さんのつてを頼ってJA大田に生産を頼める人はいないだろうかと相談に行った。農協も最初は渋っていたが、当時の大田市長が日系ブラジル人と地元住民との融和を進めるという意味から支援してくれ、協力が得られるようになった。

 現在では、JA傘下だけでも約25戸、全体では40数戸の農家が林の下でブラジル野菜を生産しているが、出荷する野菜の農薬使用基準策定からトレーサビリティのシステム作りにおいてJA大田には大きな協力を得ている。農協傘下の生産者に関しては冷蔵庫も農協のものを使わせてもらっている。価格が低迷する野菜市場に出荷するより安定した値段が取れるのでブラジル野菜は人気があるのだ。

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