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差別化ではない本質的な“安心”とは?
昆 近年は、量販店の店頭でいろいろな表示が求められ、農業者も、農水省のガイドラインや有機認証をとれと流通から要求されることが多くなりました。しかし、そんなことより、もっと大事なことがあるのではないか。「有機」「無農薬」は、差別化商品になったけれど、もともと食べ物が安全だというのは当たり前の話で、それが差別化になるということ自体おかしな話ですよね。そのなかで、全農が安心システムを作られたわけですが、全農としてどういうことを考えていらっしゃるのかお話いただければと思います。
原 僕たちも入口は、「有機」に差別化商品としての価値があるかどうかから始まったんです。ところがその後、アメリカでいろいろなオーガニック農家を回ってみたら、どうもオーガニックという概念は差別化ではないことがわかってきた。たとえば、種をまくときに、3つのことを考えているというんだよね。一粒は自分のために、一粒は旅人のために、一粒は鳥のために。そもそも農業というのは、そういうものだったんだなあということなんです。当たり前のことを当たり前にやることが原点だなあと。日本では、オーガニックを「有機」と訳してしまったけれど、本来は、sustainable。「持続可能」という意味ですよね。
持続可能な農業ということを突き詰めていくと、やっぱり重要なのは「心」なのかなと思うんです。そういう切り口で日本の農業を見たとき、これは本当に持続するのかなと(笑)。今の生産者は「情報を出している」と言うんだけれど、残念ながらそれが市場で止まっている。誰のための情報なのか。最後にきちんと聞いてくれる人のところに届かなければ意味がない。一方の消費者も、日本の農とか食を知らないまま生きていける。日本の社会構造そのものが、非常にゆがんだ形になっているんですね。きちんと思いをつなげる仕組みがないとダメだなと思った。
戦後50年の社会構造の変化を振り返ると、八百屋の小売の時代から、無言でカートを押すセルフサービスの時代になり、今度は新たなマーケットができようとしている。しかし、生産者のほうは、あまり変化してない。よいものを作れば売れる。あとの値段や需給調整については国の仕組みに要求を突きつける。単純にいえば、その1本の方程式だけで来てしまったのではないか。だから、目の前の有機とか差別化路線よりも、基本的な部分をなんとかしなければ、この先とんでもないことになる。それが、このシステムを考えついたときに思っていたことです。
昆 さっき「心」だとおっしゃいましたが、本当にそうだと思うんです。お百姓さんは種まきロボットになっている。流通は単なるトラックか倉庫で、量販店はたんなる棚で、外食は自動キッチンにすぎない。誰も全体を見ていないし、ロボットであることに疑問も抱いていない。それでお互いを責め合っているにすぎないんじゃないか。「問うべきは我」というのが解決のための基本で、今さら批判してもどうにもならない。みんな自分を問うていないんじゃないかと思うんです。
昆 近年は、量販店の店頭でいろいろな表示が求められ、農業者も、農水省のガイドラインや有機認証をとれと流通から要求されることが多くなりました。しかし、そんなことより、もっと大事なことがあるのではないか。「有機」「無農薬」は、差別化商品になったけれど、もともと食べ物が安全だというのは当たり前の話で、それが差別化になるということ自体おかしな話ですよね。そのなかで、全農が安心システムを作られたわけですが、全農としてどういうことを考えていらっしゃるのかお話いただければと思います。
原 僕たちも入口は、「有機」に差別化商品としての価値があるかどうかから始まったんです。ところがその後、アメリカでいろいろなオーガニック農家を回ってみたら、どうもオーガニックという概念は差別化ではないことがわかってきた。たとえば、種をまくときに、3つのことを考えているというんだよね。一粒は自分のために、一粒は旅人のために、一粒は鳥のために。そもそも農業というのは、そういうものだったんだなあということなんです。当たり前のことを当たり前にやることが原点だなあと。日本では、オーガニックを「有機」と訳してしまったけれど、本来は、sustainable。「持続可能」という意味ですよね。
持続可能な農業ということを突き詰めていくと、やっぱり重要なのは「心」なのかなと思うんです。そういう切り口で日本の農業を見たとき、これは本当に持続するのかなと(笑)。今の生産者は「情報を出している」と言うんだけれど、残念ながらそれが市場で止まっている。誰のための情報なのか。最後にきちんと聞いてくれる人のところに届かなければ意味がない。一方の消費者も、日本の農とか食を知らないまま生きていける。日本の社会構造そのものが、非常にゆがんだ形になっているんですね。きちんと思いをつなげる仕組みがないとダメだなと思った。
戦後50年の社会構造の変化を振り返ると、八百屋の小売の時代から、無言でカートを押すセルフサービスの時代になり、今度は新たなマーケットができようとしている。しかし、生産者のほうは、あまり変化してない。よいものを作れば売れる。あとの値段や需給調整については国の仕組みに要求を突きつける。単純にいえば、その1本の方程式だけで来てしまったのではないか。だから、目の前の有機とか差別化路線よりも、基本的な部分をなんとかしなければ、この先とんでもないことになる。それが、このシステムを考えついたときに思っていたことです。
昆 さっき「心」だとおっしゃいましたが、本当にそうだと思うんです。お百姓さんは種まきロボットになっている。流通は単なるトラックか倉庫で、量販店はたんなる棚で、外食は自動キッチンにすぎない。誰も全体を見ていないし、ロボットであることに疑問も抱いていない。それでお互いを責め合っているにすぎないんじゃないか。「問うべきは我」というのが解決のための基本で、今さら批判してもどうにもならない。みんな自分を問うていないんじゃないかと思うんです。
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