ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

農業経営者ルポ「この人この経営」

責任はわれにあり豆腐に込めた再起への思い

 豆腐作りは午前2時頃から始まる。注文が多い日には午前0時には起きなければならないこともある。豆腐ができあがるのは明け方だ。夜が白んでくる頃、ざるに盛られた豆腐から、大豆の香りがほかほかの湯気とともに立ちのぼる。

 今でこそ配達専門のスタッフがいるが、開店当初は千明さん自身が配達に出かけていた。遠いところは店から20km以上も離れている。配達の合間には、村内にある民宿を営業で回った。配達を終え、翌日の仕込みを終えるのは夜。疲れて横になっても、すぐにまた仕事を始める時間が来る。こんな毎日が続いた。

 しかし地大豆を使った濃厚な味わいの豆腐はだんだんと村内から村外、県外へと噂が広まった。まず、スキー客が泊まる民宿や温泉宿からまとまった量の注文が来るようになった。すると、宿で食べておいしかったというお客さんから注文が入るようになった。口コミで全国に「ざる豆腐」のファンが生まれていった。


自分を応援する「もう一人の自分」が見えた


 ところで開店当初、自分が納得できる豆腐作りのため、千明さんが足を向けたのは京都の豆腐屋だけではなかった。コンサルティング会社などが主催する経営者セミナーというものにもことごとく参加した。こうしたセミナーの参加費は20万円以上するものも多い。「一年目の売り上げが250万円ぐらいしかなかったのに、こうした勉強会に何百万円も使ってしまった(笑)」

 失意の底から這い上がって豆腐屋になる決心をした千明さんを、奥さんを始め家族や親戚は心から喜んでくれたという。しかしその後の千明さんの奔放な行動に、家族はついていけなくなった。家族会議まで開かれた。

「周りはかなり反発したんさね。でも酪農の失敗を繰り返したくなかった。そのためにはまず自分が変わらないといけないと思った」(千明さん)

 酪農で過剰投資し、借金で首が回らなくなったとき、「(金を貸した)農協のせい」「(規模拡大を唱えた)国のせい」と周囲に責任を押し付けたこともある。そしてそれでは何も解決しないとわかると、今度は自分自身を責めた。「なぜおれはこんなにだめなのか」――その結果が病だった。

 全ての責任は自分にあると認めたうえで、その重圧をはね退けて次の一歩を踏み出すということは、志高い経営者ならだれもが経験することだと千明さんは考えた。高額なセミナーに参加したのも、同じように悩みながらそれに打ち勝った経営者の話を聞いたり、経営者に混じって堂々と自分の考えを投げかけてみたいと思ったからだ。

 そうしたセミナーへの参加を通じ、何が以前と変わったかと聞いてみた。「牛飼いのときにはわからなかったけど、もう一人の自分がいることに気付いた」と千明さんは言った。

関連記事

powered by weblio