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農業経営者ルポ「この人この経営」

責任はわれにあり豆腐に込めた再起への思い

一粒の大豆から村の農業を変える


 お客さんの評判はすこぶる良く、尾瀬ドーフの経営はますます拡大しそうな気配だ。だが、千明さんの次のステップは増産や効率化ではなく、一見すると、逆の方向に行こうとしている。

 3年前から千明さんは、大白大豆を自分で作付けするだけではなく、近隣の高齢農家に頼んで作付してもらい全量買い取るという契約栽培をスタートさせた。

 今年、契約栽培してもらった農家は約70名。おかげでこの秋から10tほどの大白大豆が使えることになるという。千明さんが年間に使用する大豆は25t。今までは一部しか使えなかったが、来年からは約4割が大白大豆になるという。

 大白が市場で高く評価されながら姿を消したのは、昭和40年代頃。高原野菜が地元の奨励品目になった頃からだ。また、他の品種に比べ収量も少なく、機械化適性が低いことも影響した。大豆の莢が地面から低いところに付くため、コンバインで収穫すると土が混ざるなど難点があるからだ。

 地元で支持されながら市場から消えた地大豆。だが加工することで消費者に再び認知されつつある。収量を上げることが課題だが、今年から韓国の大豆農家が開発したという多収量化が可能な技術を試験的に導入している。また大豆の特性上、機械化は難しいが、他ではあまり作りたがらないので、かえって地域の特産品として確立しやすいと千明さんは見ている。

 また周りを見渡せば、まだまだ元気な高齢農家は多い。機械化するよりも、むしろお年寄りに作ってもらってそれを豆腐として提供することで、働く場所とやりがいを提供したいと思っている。

「生産や加工部門は地元の人に担ってもらいたい。それから販売に関しても基本的に卸はしないが、料理として使ってもらっている地元の民宿や旅館には卸したいと思っている」。大豆を使った村全体の活性化という青写真が千明さんの頭にはしっかりと描かれているのだ。

 尾瀬ドーフでは、贈答用のざる豆腐を開発中だという。これを民宿で泊り客に薦めてもらい、民宿に利益が入るようなシステムを作りたいと千明さんは思っている。そうすれば商業も観光も活性化する。「むやみに施設を作る観光はもう時代遅れ。村を立て直すには農業が変わるしかない。たった一粒の地大豆からとてつもなく大きいビジネスが生まれるということを証明したい。大白大豆は片品村を変えてくれると思っているんさね」。

 悩んでいた時に自分を助けてくれたのは地元の人たちだった。地元の人が温かく見守ってくれたのは、自分の両親や先祖がまっとうな人生を歩き、周囲ときちっと付き合っていてくれたからだと千明さんは痛感した。

 心の迷いがふっきれたのは、豆腐作りを通じて地元に恩返しをしたいと思った瞬間からだという。「今度は自分が村の人との付き合いをきちっとする番。そうすることで自分の家族や子どもたちが困った時に助けてもらえる。今やっていることは、全て子どもたちのためにやっているだけかも知れない」。

 経営は何も自分の夢や欲のためだけに行うのではない。それは様々な人から与えてもらった恩を返す行為でもあり、家族を守るという基本的な行為でもあることを千明さんは気付かせてくれる。

 取材を終え、新商品で人気があるという「生豆腐」を食べさせてもらった。大豆の甘さが滑らかにのどを伝わっていく。取材の緊張や疲れが一瞬にして吹っ飛んだ。

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