ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

江刺の稲

自ら借金する農水省の作男はもうやめよう

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第84回 2003年02月01日

  • この記事をPDFで読む
    • 無料会員
    • ゴールド
    • 雑誌購読
    • プラチナ
今月号の特集タイトルは「コメを神棚からおろす時」である。その中で、「“米政策”より“米ビジネス”を語ろう」のテーマで市川稔氏と小塩幹雄氏という二人のコメ・ビジネスマンに、“農業”、“農家”、“米流通”について語っていただいた。
 今月号の特集タイトルは「コメを神棚からおろす時」である。その中で、「“米政策”より“米ビジネス”を語ろう」のテーマで市川稔氏と小塩幹雄氏という二人のコメ・ビジネスマンに、“農業”、“農家”、“米流通”について語っていただいた。

 その中で市川氏は「計画通りにいかない計画流通米」と「計画通りにいってる計画外流通米」と米流通改革の状況を言い当てている。そして、消費者の米購入先も「農家から直接購入」と「親兄弟からもらっている(縁故米)」の合計が全体の43%に及ぶほど現実が先行しているのに、今さら大綱を作ってこれからの米流通の方向性を定めようと考えること事態、時代錯誤ではないかと笑う。そして、これまでコメの流通が役人とその管理下に置かれた利権ビジネスであったればこそ、まともなビジネス感覚さえ持てば多様な可能性があることを、市川、小塩の両氏は異口同音に語っていた。

 ところで、米あるいは農業に関する時代状況として注目すべきことは、今回の米政策大綱策定の過程において農政族といわれる政治家たちがさしたる抵抗も口出しもしなかったことだ。かつて「一粒たりとも輸入させない」などという空念仏を三回にもわたって全会一致の国会決議し、農協を中核とする当時の農業界に理念なき迎合を繰返していた政党や政治家たちが、今ではほとんど“知らん顔”である。農業というより農協の論理あるいはその利権運動は、その出入業者としての自民党農林族と呼ばれる政治家たちにすらそっぽを向かれてしまったのだ。

 政治や制度が農業の行方を決める時代は終わったのだ。同時に農協という20世紀的システムもすでに役割を終えた。健全な職業倫理を持つ農業経営者や食の職業人の自助努力によって未来を創造する時代が始まっているのだ。

関連記事

powered by weblio