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特集

経営責任を問わない“集落営農”の愚

 しかし、日本の場合は内外価格差が大きすぎます。なおかつ規模拡大のためのコストも莫大なものです。つまり、農業改革を進めるのに相当本腰をいれないとヨーロッパ並の姿は描けない。ヨーロッパを真似ようにも真似できないというのが実態だと思います。
 もう一つは、農業の多面的機能、グリーンツーリズムの推進による環境重視の農業政策についてですが、これは個々の農家ができることではない。村全体、町全体の土地利用計画、ないしは環境対策をトータルでやって初めて成立するものです。
 例えば、ドイツのクラインガルテンもまさに地域政策です。1軒、2軒の農家の話ではなく、地域全体の方針が打ち出され、そのなかで町や村全体を作り直していくというやり方です。なおかつ個々の農家は20~40haという規模を持っている。これも日本は真似できない。
 だから、まずはヨーロッパ並に規模を拡大して、その後で本格的なデカップリングなどの政策を導入するというやり方をしないといけない。たまたま日本とヨーロッパの主張が似ているというだけで、同じことができる状況ではありません。

昆 農水省がヨーロッパの政策を真似するのは、補助金をバラまく手段として、横文字を縦に直すことで無理やり辻褄を合わせようという考えが背景にあると思っています。日本には農家、農民という存在がまだありますが、ヨーロッパや他の先進国にはもう農民はおらず、皆経営者になっている。個人経営であるか法人であるかは別にして、事業者としての自覚を持った経営主体しか残っておらず、それが前提になって様々な政策が打ち出されているように思います。ところが日本の場合、農家一般は極めて豊かな階層になっているのですが、それなりの経営者だと思っている人でも経営を補償しているのは転作奨励金だというケースがある。そういう構造に追いやられたのが彼らの辛さではあると思いますが、それを変えていくためにも今回のような議論は必要だと思います。
 ところでもう一つ、WTOやFTAの問題も含めて、アジアのなかで日本や日本の農業がどう振舞うかということが問題になっていると思います。そういうことを考えていかないと、アジアの中でどうしようもない国、尊敬されざる国になってしまうのではないかという気がしますが、本間先生はどう思われますか。


韓国では「人の選択」と「土地の集中」が始まった


本間 日本に限らず、アジア全体で共同体の役割は非常に大きかったといえます。経済発展の過程において「政府」、「市場」、「共同体」の3者は、それぞれ役割分担をしながらうまく機能してきた。だから共同体の論理や共同体自体が悪いということではありません。しかし共同体は、最も機能する場にあって機能すべきなのです。

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