ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

特集

経営責任を問わない“集落営農”の愚

昆 そういうことも私たちは自由に考えられるようになるべきです。ところが、日本人は海外からの参入を感情論で反発する。破綻した日本の銀行に外資が導入されたときも反発がありました。外資が来たからといって日本が支配されるわけではないのに。これからもっと大きな変化があることを考えると、過去の結果からではなく、未来から考えていかないと現在さえも守れないことになると思います。

本間 FTAがそうした状況にあります。FTAはめまぐるしく展開しています。農業を例外とするかどうかが問題になっていますが、農業以外の分野で地域限定的ではあっても完全自由化になってくると農業が目立ってくるわけで、いずれ自由化せざるを得ない。その日のために何をするかが大切だと思うのですが、役人は「その日」が来るのを先延ばしにしているとしか思えません。

昆 このままでは農業が壊滅することがわかっている以上、経営者はそれを先取りすることを考えるべきです。集落営農という形があるのなら、それをしたたかに利用する方法もある。“集落営農”にこだわるより、村や風土という経営資源を活かす経営者の存在こそが肝心なのです。問題はお上のら指導ではなく、個々の経営者が戦略としてやれるかどうかです。
 また、先生がさきほどいわれたように、日本には、集落営農にこだわることなく、市場をうまく使う方法もある。逆に、補助金というヒモ付きほど経営が不自由だということ、よほど優秀でないと難しい経営になることを伝えておきたいのです。ありがとうございました。


本誌読者に聞く「農業経営と集落営農」


 農業経営がある程度の規模となれば、集落との関係は避けて通れない。しかし、経営者として自らの経営を考えるという視点ではなく、集落第一で考えれば経営体そのものに歪みを生じざるを得ない。そこで読者の方々に、集落との相互関係を築きながらも、それにただ依拠するのではない農業経営には何が必要かを聞いた。


熱意ある新規就農者にこそ力を貸すべき/株式会社信州がんこ村 横森正樹さん(49歳)


 私の地域は典型的な中山間地で、集落営農にあてはまらない地理条件なので、話は具体化していない。しかし、他の産地の例を見ても、あまり成功しているところはないという印象を受けている。上からの政策の押し付けで動き始め、JAも関わって確かに集落営農組織の“形”だけはできている。しかし実際には組織に対する集落の協力がほとんどなく、あまり機能を発揮していないのではないか。今の日本には、自分自身で行動を起こす度胸や、やる気のある人間が少なくなってしまった。農業者自身、今の日本農業が置かれている状況や、JAが農家から離れていきつつある状況がわかっていても、JA頼み、農政頼みの営農から抜け出そうとか、改革しようという意欲がない。その枠の中で、行政のかけ声だけで集落営農が広がっている気がする。私は野菜生産者だが、稲作でも立派な人は集落ではなく個人で十分に経営を成り立たせている。きちんと経営を考えて、自分が主体になってやろうとすれば、農業ほど儲かる商売はないと私は思っている。集落営農を基本とする考え方自体、私には理解できない。机上の作文としては、集落営農という考え方は素晴らしいかもしれないが、現場には合わないケースが多いのではないか。中山間地の直接所得補償制度にしてもそうだが、農業者の甘えをどんどん引きずり出して、しかも後の続かない補助金を出すのは税金の無駄使いだ。それよりは、やる気のある新規就農者の自立援助に税金を回したほうがよほどいい。何よりも甘えが許されない、甘えのない教育をしていくことが重要で、集落営農にしても補助金に頼らずに自立できる集落営農を考えなければいけないはずだ。私は、研修者を受け入れて、独立する時に運用資金や機械購入のための資金を無償で貸したりしているが、自分の体験から、就農時の面積は1ha以上にするなど、生活をかけて農業をきちんとできる、食べていける体制を作ることを条件にしている。農業政策も農協も、本当には農家のためのものではなくなっている中で、私の農業理念に賛同してくれる人たちと一緒に「信州がんこ村」という組織も作った。農業組織の本来の姿に戻った、農協の代替機構として活動している。熱意を持ってやって来る人にはどこまでも協力する。しかしやる気のない相手を説得するのは無理だ。いいとこ取りをしようとだけ思っている人を相手にすると自分自身の経営がダメになってしまう。

(インタビュー:榊田みどり)

関連記事

powered by weblio