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【農業経営者ルポ「この人この経営」】
合言葉は“ONEFORALL,ALLFORONE”
- 第48回 2003年06月01日
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100軒分の農産物を一手にさばく
農業生産法人(有)ジャパンアスコの須川俊哉さん(39歳)は、宮崎県内の農家約100件の農産物を、首都圏を中心とする消費地へ送り出している人物だ。普段の須川さんはムチャクチャ忙しい。畑にいても、会社にいても、運転中も、食事中も、夜討ち朝駆けおかまいなしに携帯電話が鳴る。
「須川です。ハイッ、ハイッ……」
内容は、取引先からのクレームだったり、生産者からの確認事項だったりさまざま。身長183cm、体重87kgと、やけにガタイがいい。電話の向こうの相手に姿は見えないはずなのに、大きな背中をかがめ、頭を下げ、一本一本に懸命に対応している。
売り先は、カルビー(株)、芋けんぴの渋谷食品(株)、さらに仲卸・荷受・全農・商社等を通して最終的には、デニーズ、リンガーハット、モスバーガー、スーパーの九州屋、西友、イトーヨーカドー、つるやスーパー、首都圏の生協に農産物を供給する(株)ジー・ピー・エス、宮崎県民生協、コープ自然派事業連合、コープ長野……食品加工業者から外食、量販店、生協と多岐に渡っている。
産地と消費地の間に立ち、これだけの販売網を10年足らずで、ほとんどたった一人で築き上げたというからオドロキだ。生産者の子息でもなければ、バイヤー出身でもない。それでは一体何者なのだ?
ラガーマンから転身何も知らない農業界へ
須川さんは宮崎県川南町の出身。子どもの頃は「ばあちゃんの農作業を手伝う程度」で、本格的な農業の経験はない。地元の高鍋高校でラグビーに目覚め、筑波大学の体育専門学群に進み、ラグビー三昧の日々を送る。
卒業後はホームセキュリティのセコム(株)へ入社。営業の業務に携わりながら創部間もないラグビー部のメンバーとして活躍する。ポジションはフォワード。当時の体重は100kgを超えていた。
「2mを超える外国人選手に突撃して、歯が折れる、肋骨が折れる、脳ミソがズレる……それが快感でした(笑)」
30歳で現役を引退。そのまま会社に残る道もあったが、あえて故郷の宮崎に帰る道を選んだ。そんな彼に声をかけたのは、(株)ジャパンカレントの押川哲也社長だった。
押川社長は、地元で長年にわたり養豚生産事業に取り組んできた経営者で、過疎化が進み日々さびれていく宮崎の現状を憂いていた。地元に気合と活気を与えるべく、新たに野菜部門を立ち上げようと考えていた矢先、その責任者として須川さんに白羽の矢を当てた。
「農業の経験はまったくいらない。彼の客観性と、突拍子もない発想を期待しました」(押川社長)
ラガーマンがいきなり農業? 帰郷を前提にわが身の行く末を考えたとき、さびれゆく宮崎をなんとかしたいという思いと、「押川イズム」には通じるものがあると感じた。
「宮崎は年間の日照時間も晴天の日数も沖縄を除いて一番。それなのにいつも県民所得は常にワースト3に入っている。せっかく俺が帰ってきたのに、なんでみんな出て行くの? 地元が衰退していくのがムチャクチャいやだった。これから宮崎が誇りを持って歩んでいくとするなら、農業を興していくしかない」
こうして入社と同時に、野菜生産部門として(有)ジャパンアスコを設立。須川さんはその責任者となった。
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