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農業経営者ルポ「この人この経営」

腕づくでつかんだ夢と、必要とされる農業への脱皮

集出荷場――と言うよりは、まるで野戦軍の兵たん基地と表現したら大げさだろうか。広さ約360坪、高さ約10m の建物はまるでカマボコ兵舎のようだ。辺りを見回すと、巨大なサブソイラを付けたクローラトラクタを始め、何台もの農業機械が並んでいる。

(農)黄金崎農場

〒038-2327 青森県西津軽郡深浦町大字舮作字堰根155
TEL:0173-75-2122

木村慎一さん(52歳) 佐々木君夫さん(53歳) 竹内雅孝さん(52歳)

【プロフィール】

青森県柏村生まれで五所川原農林高校卒の佐々木さん(代表理事)、木村さん(理事)と、木造町出身の竹内さん(同)が4Hクラブの活動を通じて、1976年(農)黄金崎農場を設立。白神山地近くの深浦本場からスタートし、95年には岩木山麓に200haの農地を取得した。経営面積は約468haで、うち約250haを法人が所有。自作地主体の経営を目指す。バレイショ(青果・種)、小麦、ダイコン、ナガイモ、大豆などを生産し、昨年の売り上げは約4億2700万円。構成員は計7戸9人。労働力は従業員、パート、アルバイトなどを合わせると、最大時で約130人になる。


  集出荷場――と言うよりは、まるで野戦軍の兵たん基地と表現したら大げさだろうか。広さ約360坪、高さ約10m の建物はまるでカマボコ兵舎のようだ。辺りを見回すと、巨大なサブソイラを付けたクローラトラクタを始め、何台もの農業機械が並んでいる。

 内部には、バレイショが入ったコンテナが山積みされ、2台のフォークリフトがめまぐるしく走り回る。その間をぬうように従業員たちが行き交い、一隅ではバレイショの箱詰めが整然と進められていく。

 青森県弘前市十腰内地区。「津軽富士」とも呼ばれる岩木山の麓に(農)黄金崎農場の第2農場はある。同県深浦町の本場などと合わせ、経営面積計468haを誇る、言わずと知れた日本有数の超大型農業法人だ。今年の作付計画は、加工用バレイショ55ha、収穫小麦130ha、加工用ダイコン20ha、そして大豆85haなど。それらの多くが契約栽培で、食品加工メーカーなどに出荷されていく。


アメリカ農業のように大規模でもうけたい


 黄金崎農場は、1976年1月、佐々木君夫(代表理事、バレイショ、総務・労務担当)、木村慎一(ダイコン・大豆、経理担当)、竹内雅孝(小麦・ナガイモ、機械担当)らが中心となって設立された。いずれも県内の農家出身であり、出会いは農業青年が農業や農村生活について学習する4Hクラブだった。

 佐々木は、小学生の頃から野菜作りに熱中し、農業高校時代には園芸部の活動でスイカやメロンを栽培。それらを売ることで部の資金面を支えたほど農業が好きだった。卒業後は、地元の4Hクラブのリーダーになり、自分の土地を提供して共同生産にも挑戦した。

 木村は佐々木と同じ高校の1年後輩である。中学生の時、将来の夢を尋ねられ、クラスでただ1人「百姓」と答えて、担任をびっくりさせた。コメ・リンゴ農家の父親は、息子が農業を継ぐことに反対したという。が、木村はそれを押し切り、自分でウズラの飼育に取り組んで、卵を売り歩いたこともあった。

 一方、竹内は普通高校を卒業し、上京すると警視庁に採用された。交番勤務をしていたが、「東京は長く住むところじゃない」と思うようになり、3年で辞めて帰郷。実家を継ぎ、スイカなどを作りながら将来に不安を感じ始めた頃、佐々木、木村らと知り合った。

「農業でもうけたい。規模を拡大し、アメリカ農業のように大型トラクタで広大な農地を走り回れば、必ずもうかると単純に考えていた」と佐々木は青年の頃を思い起こす。
 木村や竹内も同じだった。コメとリンゴと狭い田畑に縛られた地元・青森の農業では将来が見えてこない。法人化し、給料をもらえる共同組織を作れば、安心して好きな農業を続けることもできると夢を思い描いた。

 だが、地元周辺に開墾できる余地はなく、20代の若者を相手に農地を手放す農家もなかなか見つからなかった。

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