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新・農業経営者ルポ

息子が受け継いだのは困難に挑戦した親の誇り

かつて家子憲昭が食管法の中に生きる農民の怒りから始めた「ライズみちのく」の事業は、憲昭の事業としては破たんした。憲昭の生きた農業経営者の誇りをかけた挑戦とは何であったのだろうか。しかし、少なくとも家子憲昭はその生き様において、長男秀都に人が次代に受け継がせるべき最も価値ある「誇り」を伝えた。憲昭の父を含めて、家子家三代に受け継がれたものとは何か?取材・文/昆吉則 撮影/編集部
開拓者の祖父

 地主の次男で職業軍人だった家子憲昭の父(秀都の祖父)は、復員後、家族とともに実家に身を寄せた。農地解放で農地を失った実家に5人の家子一家が同居するのは肩身の狭いものだった。1952年、父は実家から数キロ離れた開拓地に入植。赤松と熊笹が生い茂る原野を開墾鍬と鎌と鉈だけで拓く開拓民になる道を選んだ。1年に5反を開墾するのが入植の条件だった。農村部といえども戦後の復興が始まっていた。その貧しさゆえに憲昭たち開拓部落の子供は虐められた。地主の次男で情報将校としての矜持を捨てることなく開拓民となった父に、村人の対応はとりわけ冷やかだった。父親もまた、農村民主化、農地改革に沸く当時の農民社会の精神風土になじめなかったのかもしれない。

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