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新・農業経営者ルポ

息子が受け継いだのは困難に挑戦した親の誇り

 高級スーパーを中心に営業を始めた。食管制度の中にいて混米の旨みの中にいた米屋はまだ相手にしてくれなかった。取り扱ってくれたのは東京の高級品を扱うスーパーからだった。飛び込み営業だった。

 スーパーにコメを売って思いもよらぬお金を見せると、開拓者として辛酸を舐めてきた母は喜んだ。精米は当時の家庭用精米機である。色彩選別機なんかない。母は精米機から出てくるコメを桶に入れて一所懸命カメムシをつまみ出して袋詰めをしていた。今から思えば漫画のような仕事である。やがて3馬力程度の業務用精米機を入れたが、それでも間に合わないほど注文が来た。

 規模は25haくらいまで伸ばしたが、規模拡大より販売に力を入れる方が経営メリットの大きいことに気づいた。農協との付き合いは徐々に減っていき、同時に食管法に従わない憲昭に対する農協の圧力は強まった。それは同時にムラとの軋轢でもあった。食管法への確信犯的事業展開を続ける憲昭にとって、消費者=顧客の支持が頼りだった。すでに食管法の問題点は様々に語られる時代であり、大方のメディアも憲昭らの活動に共感を示していた。

 法人化も早かった。農業界でそれが語られる以前の80年から、岩手稲作センターなる会社を作っていたが、コメの販売を意識したライズみちのく(有)に名称に変更。社員も生産現場に1人、精米に1人を雇うようになり事業は成長の一途で、売り上げも2億5000万円に達していた。

 しかし、94年11月6日、朝日新聞東北版に、ライズみちのくのコメは、使わないと書いてある殺菌剤を使用する「ニセ低農薬米」であるとの記事が掲載されたのだ。もちろん、殺菌剤など使っていなかった。当該地区の農協がヘリ空中散布で殺菌剤を使っているとして家子のコメを「ニセ低農薬米」だと書かれたのだ。憲昭の抗議に朝日新聞はその後、訂正記事と「お詫び」を掲載した。しかし、その影響はあまりにも大きかった。キャンセルが殺到した。スーパーも何社かが離れていった。

 記事を書いた記者の目的は表示問題というより農協関係者の意を受けた食管法破りをする憲昭を潰すことだったのだろう。この事件に関しては、本誌の第8号(94年12月発行)および第9号(95年3月発行)の筆者のコラム欄(本誌ホームページで読める)で紹介している。

 販売に取り組む農家にとって、最大の課題は資金繰り。ましてや当時は、農協も地方銀行も同じムラの住人だった。食管破りをする憲昭に融資をしてくれる時代ではなかった。金利の高いノンバンクからの融資を中心に資金繰りしており、取引するスーパーが年間契約分の何割かを前払いしてくれるのが何より有難い助けだった。そんな財務状態の中での捏造報道。深刻な経営危機に陥った。

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