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新・農業経営者ルポ

息子が受け継いだのは困難に挑戦した親の誇り


受け継ぐべきは親の誇り

 しかし、憲昭に思いがけないことが起きた。破たんの数年前に憲昭の元で働き始めていた長男・秀都が、憲昭には何の相談もなく新たに会社を創業するという。旧会社整理から4カ月目の98年4月、(有)ピースを設立するのである。秀都が同じく父の手伝いをしていた妹と相談して考えたことだった。設立資本金の300万円は秀都が中心となり、親戚にも援助も頼んだ。はじめから憲昭を新会社に誘うつもりはなかった。憲昭が農業を始めた時と同じ覚悟と独立心だった。秀都23歳の春だった。

 すでに顧客はいない。あるのは古い農機具とたくさんの地権者から借りている約20haの水田。秀都は自分の創業は地主への責任だと思った。最初の2年間はあれほどの軋轢のあった農協へ出荷した。世代交代した秀都だから可能だったのだろう。3年目から直販も始めた。妹が経理面を助けた。秀都には勝算があった。父の元で農家の姿を見てきた。下降線を辿る農業情勢はチャンスだとも感じていた。農業への憧れからピースに職を求めてくる若者は少なくなかったが、当初の5年間は社員もどんどん変わり、技術の蓄積もできなかった。しかし、この数年は確実な人材が集まり、育ち始めている。

 現在は、スーパーや契約加工業者が主な販路で、JAS有機のコメを含め、特別栽培のコメ、大豆の生産販売、それに各種土木・解体などの仕事を請けている。現在の売り上げは約6000万円。11名の従業員からすればもっと売り上げも利益も増やしたいところだ。

 秀都にとっても5年間は文字通り苦難の時であったが、この数年で未来が見えてきた。憲昭が「攻め」の経営だとしたら、秀都のそれは「待ち」の経営というべきかも知れない。果たすべきことを積み重ね、顧客の求めに確実に応じられる己であることを目指す。そのために秀都は、会社設立にあたって(1)法人にすること、(2)他産業から人材を入れること、(3)直販すること、(4)出来るところから社会的貢献をすること――4つの決め事をした。設立から10年、その成果は着実に上がり始めている。また、父が持っていた13haの水田を農林漁業金融公庫の融資を受けて会社で購入した。相続ではないのだ。

 開拓者の祖父から時代を切り開いた父、そして子へと至る家子家の系譜。受け継がれているものとは、土地でも金でも会社でもなく、それぞれの時代に、夢見た未来のために困難に挑戦する誇りである。(敬称略)

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