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江刺の稲

30年前に起きた“欠乏”から“過剰”への変化

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第93回 2003年11月01日

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農業界では、いまだに1970年の減反開始を不幸の始まりであったかのように語る人々がいる。しかし、1960年代後半から1970年前後の時代こそ、日本が大転換をしていく時代であった。それは、“欠乏”あるいは“飢え”の克服を国家の最大テーマとした時代から、人々の健康だけでなく社会の病理としても欠乏よりも対応の困難な“過剰”の時代に転換する時代であったのだ。
 農業界では、いまだに1970年の減反開始を不幸の始まりであったかのように語る人々がいる。しかし、1960年代後半から1970年前後の時代こそ、日本が大転換をしていく時代であった。それは、“欠乏”あるいは“飢え”の克服を国家の最大テーマとした時代から、人々の健康だけでなく社会の病理としても欠乏よりも対応の困難な“過剰”の時代に転換する時代であったのだ。

 年代記で言えば、1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催に合わせて東海道新幹線が開通した。首都高速道路、東京モノレールが開通したのもこの年だ。その前年(1963年)には日本で始めての高速道路として名神高速道路が開通していた。今でこそ日本はODA大国と言われるが、東海道新幹線は世界銀行からの融資によって建設された。日本はそういう国だった。

 1970年というと、1960年代末に全国に広がった学生運動あるいは政治の季節と言うイメージがある。しかし、当時の学生運動のシンボルでもあった東大安田講堂が1969年の1月に機動隊の手によって封鎖解除させられ、1960年代の“政治の季節”は一気に冷めていった。1970年に日米安保条約が自動延長されると、世の中の学生運動に対する共感も消えていった。

 政治の季節は終わってしまったのだ。むしろ、1970年(昭和45年)という時代を象徴している国家的イベントは大阪万国博覧会だった。オリンピックの開催と万国博覧会開催は、日本が文字通り先進国の仲間入りをする通過儀礼だった。同時に、それは日本が欠乏から過剰の時代に突入する時代の幕開けだった。

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