ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

江刺の稲

30年前に起きた“欠乏”から“過剰”への変化

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第93回 2003年11月01日

  • この記事をPDFで読む
    • 無料会員
    • ゴールド
    • 雑誌購読
    • プラチナ

 我が国が諸外国からの緊急食料援助を受けるための基礎資料を得るという目的で1945年に始まった厚生省「国民栄養調査」でも、1970年代になると栄養不足は著しく改善されていた。しかも1970年代初めをピークにして、以後、日本人の摂取カロリーは減り続けているのだ。

 ファミリーレストラン「すかいらーく」が一号店を開店したのも1970年であり、ファーストフード店のケンタッキーフライドチキン、ミスタードーナツが開店したのも1970年だ。マクドナルドは1971年に日本法人ができている。牛丼の吉野家は1968年に始まっていた。冷凍食品の普及もこの時代からである。

 カルビーの松尾雅彦社長によると、同社のかっぱえびせんが売れ始めたのも1972年頃からだと本誌の座談会で話しておられたが、その時代から、日本人にとって“甘さが美味さ”である時代は終わり、子供たちも “軽い塩味”を喜ぶ時代になった。

 そして、1970年に生産調整(減反政策)が始まった。

 我が国の米生産は食糧管理制度のもとで1960年代後半になると一貫して生産過剰な状態が続いていた。欠乏の時代を象徴するといってもよい食糧管理制度は、1995年まで存続したのだ。その間、食管制度は農業界に利権的恩恵をもたらし続けてきたが、我が国の農業経営と農家の精神を金縛りにしてしまった。むしろ、ソ連が70年間という長すぎるイデオロギー支配の国家制度のために、今だに経済社会のリハビリ過程にいるごとく、農業界の精神のリハビリはまだ必要なようだ。政策的な変化はあっても、我々は、人類が経験したことの無い“欠乏”の時代から“過剰”の時代へという歴史の変化の中にいることを、もっと深く考えるべきではないか。

 世の中、そして世界はもう待ってはくれないのだ。そして、そんな変化の中で自らパラダイムの転換ができる者にとっては、日本の農業が置かれている状況とは、歴史上でも農業にその可能性が与えられている時代でもあるのだ。

関連記事

powered by weblio