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旅の曲者

着地する浦島太郎

八年のエジプト暮らしを終えて、日本に引き上げてきてしばらくは霧の中を歩いているような気分が抜けなかった。生活のためにやらなくてはならないことが津波のように押し寄せてきているのに、困ったことに頭がほとんど働かないのだ。 
 とくに参ったのが情報の多さである。情報とは、いってみれば世界の中で自分の位置を確かめる手段であったはずだ。世界はどんなところで、自分はその中のどこにいて、どこにいこうとしているのか。情報は、その手かがりを与えてくれるものだと思っていた。

 ところが、日本をかけめぐっている情報というのは、どうもそうではないように思えてならなかった。情報にさらされればさらされるほど、自分の位置がわからなくなり、深い霧の中に迷い込んでいく気がしてくるのだ。しかも、情報の消費のスピードがあまりにも速くて、情報をささえるリアリティの重みがまるで感じられない。

 そんな話を知人にすると「浦島太郎状態だな」といわれたものだ。それは竜宮城から現実世界に戻ってきたという意味なのだろう。けれども、ぼくにはとてもそうは思えなかった。むしろ逆だった。現実世界だと思っていた日本のほうこそ、竜宮城のようなリアリティのない世界としか感じられなかった。

 とはいうものの、生きていくためには、この竜宮城的な希薄なリアリティを、ひとつの現実として受け入れていかなくてはならない。旅に飛び出すことよりも、このような現実への着地のほうが、じつははるかに困難であることを思い知ったものだ。

 その後、しばらくしてモンゴルを訪れたとき、自分とは逆の立場ながら、同じく現実への「着地」を考えさせられたことがあった。

 ビヤンバはウランバートルの大学で国際協力を学ぶ十九歳のモンゴル人青年だった。彼が一般のモンゴル人とちがっていたことは、親の仕事の関係で、小学校高学年から高校卒業までの九年間を日本の仙台で暮らしたことだった。人生のほぼ半分を日本で過ごした彼は、当然、日本語はペラペラ。アメリカンスクールにも通っていたので、英語もお手のものだった。

 九年ぶりにモンゴルに帰国したビヤンバは、大学に通いながら夏休みには旅行者を案内するアルバイトをした。ぼくと知り合ったのもそんなときで、いっしょに都会から離れた草原に暮らす遊牧民の住まいを訪ねることになった。

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