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旅の曲者

エチオピアの聖地で

聖地という言葉には、どこか心ひかれる響きがある。そこに足を踏み入れれば、なにかが変わるのではないか。自分の中に新しい気づきがもたらされ、世界がちがって見えるようになるのではないか。そんな予感に促されるように、旅のさなか、聖地とされている場所をなんどか訪れてきた。けれども、そのたびに気づかされる。聖地を聖地たらしめているのは、長い時間をかけて信徒たちが育ててきた濃密な確信にほかならないことを。彼らと同じ場所を歩き、祈るまねをしたところで、彼らに見えているものはぼくには見えない。だから、聖地と呼ばれる場所を訪れると、いつも少し憂鬱になる。
 聖地という言葉には、どこか心ひかれる響きがある。そこに足を踏み入れれば、なにかが変わるのではないか。自分の中に新しい気づきがもたらされ、世界がちがって見えるようになるのではないか。そんな予感に促されるように、旅のさなか、聖地とされている場所をなんどか訪れてきた。

 けれども、そのたびに気づかされる。聖地を聖地たらしめているのは、長い時間をかけて信徒たちが育ててきた濃密な確信にほかならないことを。彼らと同じ場所を歩き、祈るまねをしたところで、彼らに見えているものはぼくには見えない。だから、聖地と呼ばれる場所を訪れると、いつも少し憂鬱になる。

 にもかかわらず、そのエチオピアの山奥にあるというデブレ・ダモの聖地を訪れようと思ったのには理由があった。訪問に先立つ三年前、ジャーナリストだった友人が、その聖地にある修道院を訪れていたのだ。

 六世紀につくられたその修道院は、標高三〇〇〇メートルのデブレ山の頂にある。峻険な崖の上にある修道院にたどりつくには、岩の裂け目から垂れ下がる一本のロープがたよりだ。

 友人もこのロープをよじのぼって山頂に這い上がった。そこは一〇〇人以上の修道士と小僧さんが、エチオピア一厳しいといわれる修道生活を送っている天上の聖地だった。友人は山頂に一泊し、修道士の話を聞いた。ところが、翌朝、山を下りようとしたとき、カバンの中のラジオが消えているのに気づいた。ラジオは、身のまわりの世話をしてくれた十一歳の小僧さんの布袋から見つかった。それを知った七〇歳の師は、小僧さんを山から下ろすといった。

 友人は震えた。この世界にラジオをもってきた自分の愚を悔いた。ラジオを少年の目にふれさせた自分の浅はかさを呪った。

 「わたしが悪いのです」と友人は師に告げた。「少年は間違いを犯したが、この間違いはあなたの教えで矯正されるでしょう。ですから決して少年を罰することのないように。決して少年を山から追い出すことのないように」と。

 このデブレ・ダモ行きから半年後、友人は天上の聖地より、もっと高いところに去ってしまった。デブレ・ダモの話は、のちに出版された彼の遺著(沼沢均『神よ、アフリカに祝福を』集英社刊)の最後に収められた。

 デブレ・ダモ訪問は、友人の仕事の本筋からはやや外れた取材だったけども、彼の残した文章を読み返してみると、短いデブレ・ダモ取材記の中に、彼の人となりがとてもよく出ていた。彼がそこで見た風景を目にすることができれば、ひょっとして彼の思いに少し近づけるのではないか。それは月に近づこうとして屋根に登るようなものかもしれない。しかし、たとえそうであっても、彼が開いた風の音を、自分も聞いてみたかった。

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