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旅の曲者

さざなみの音、津波の音

昔から音にたいして過敏だった。とくに受け手を無視して一方的に垂れ流されるBGMのたぐいが苦痛でならなかった。

 昔から音にたいして過敏だった。とくに受け手を無視して一方的に垂れ流されるBGMのたぐいが苦痛でならなかった。

喫茶店や地下道にBGM、スーパーマーケットや電気量販店に流されるコマーシャル音楽、駅の券売機の無機的な「アリガトウゴ ザイマシタ」という機械音声、家にいるときにやってくる灯油やらパンやら無農薬野菜やらの巡回販売車の音楽等々。

 要するに、だれも積極的に聞いていないし、必要にもしていないのに垂れ流される騒音の数々が、いちいち気にさわるのである。むろん、目の不自由な人に音声によるガイドが必要なのはわかる。それにしても巡回販売車から流される調子っぱずれの音楽や、「横断歩道を渡りましょう」などとわかりきったことをスピーカーでがなりたてながら走る警察のミニパトやらは、いったいなんのためのものなのか。

 たいていの人は、こうした無意味な騒音には自然にフィルターがかかって意識には届かないのだろうが、自分の場合、幸か不幸かそうではない。聞き流すということができないのだ。それどころか、不快な音にかぎって耳に残り、音源となる巡回販売車などが去った後も「あったかとうゆだもんね」とか「やきたてのほっかほか~」といった一刻も早く意識から抹殺したいフレーズが頭の中でエンドレスでくりかえされ、それはそれでたまらなくなるのである。

 しかし、運命はわからない。それほど音にたいして神経質なつもりでいた自分が、エジプトのカイロという、世界でも指折りの騒々しい街に、長きにわたって暮らすことになったのだから。しかも、うちのすぐ目の前がモスクである。

 モスクの目の前に住む。中東に暮らしたことのある人なら、これがなにを意味するかはわかるはずだ。

 イスラム教では、一日五回の礼拝が義務とされている。この礼拝時刻を告げるのが、モスクから流れるアザーンという呼びかけである。アザーンは、かつては専門の朗唱士によって、肉声でなされていた。しかし、いまはモスクの塔につけられた巨大な拡声器から流されるようになっている。その音たるや、あたり一帯を洪水のように満たすほどの大音響のうえ、エコーのトッピングがたっぷりとかけられている。音は割れ、ときにハウリングを起こす。

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