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旅の曲者

純粋と不純のあいだで

今回も前回に引きつづいて、音の話。騒々しいエジプトから北ドイツに住む友人を訪ねたとき、夜の静けさがとても印象的だった。友人によると、午後十時を過ぎると、テレビの音がちょっとうるさかったり、大声で話しているだけで、警察を呼ばれることさえあるという。アパートで朝まで大音量で音楽をかけながらパーティーをやっていても、苦情ひとついわれないエジプトとは雲泥の差である。
 今回も前回に引きつづいて、音の話。騒々しいエジプトから北ドイツに住む友人を訪ねたとき、夜の静けさがとても印象的だった。友人によると、午後十時を過ぎると、テレビの音がちょっとうるさかったり、大声で話しているだけで、警察を呼ばれることさえあるという。アパートで朝まで大音量で音楽をかけながらパーティーをやっていても、苦情ひとついわれないエジプトとは雲泥の差である。

 地方都市だったこともあって、日が暮れると、店は早々に閉まり、歩いているひともなくなり、町は死んだようになる。家々の明かりはついていても、ほとんど音がしない。暗い街路を歩きながら、人びとは長い静かな夜、いったいなにをして過ごしているのだろうかと、いぶかりたくなるほどだった。

 ドイツ人は、けっして静寂ばかりを好む人たちではない。日中の町なかは、それなりに喧噪に満ちている。ビアホールは歌やおしゃべりに満ちているし、外国、とくにアフリカ方面にやってくる旅行者でいちばん騒いでいるのがドイツ人だったりする。

 けれども、昼間でも教会に一歩入ると、その閉じられた仄暗い空間を支配するのは、外の世界とすっかり切り離された静寂である。その沈黙のなかに響きわたるのも、喧噪や雑音とは無縁の、純化されたオルガンの響きだ。聖なる空間と世俗の空間が、音のうえでもはっきりと区別されているのである。ドイツの夜の静寂は、こうした教会の静けさにつながるものなのかもしれなかった。だから、そこでは大声を上げたり、騒音をたてたりすることがはばかられる。

 カイロのような町の場合、暑いせいもあるが、下町では家の扉は開け放され、テレビやラジオの音や人びとの話し声、さまざまな雑踏や喧噪が町全体を空気のように満たしている。音が聞こえるとは、そこに人が生きて、暮らしているということだ。そこには閉じられた空間というものはあまり感じられない。昼だろうが夜だろうが、町の通りだろうがモスクの中であろうが、そこにはこの世界を満たしている通奏低音のようなものが満ち広がっている。

 そのことを象徴的に表しているのが楽器である。ヨーロッパでは中世以降、音楽は教会や城のような特別な空間で耳にすべきものとされ、そこに用いられる楽器にも、できるかぎり澄んだ音色であることが求められた。オルガンはもちろん、ピアノやバイオリンやフルートにしても、雑音は極力排除され、いかになめらかで純粋な音色を得るかが重要だった。そのつややかに磨きぬかれた音を、調和させて響かせる。そうすることによって世俗を超えた美を表現しようとしてきたのが西洋の古典音楽だ。しかし、アフリカやアラブの楽器にふれて驚いたのは、まったくちがった発想で楽器がつくられていることだった。

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