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特集

創刊100号記念特集 今こそ枠組みの転換を


昆 ところが、皮肉なことに稲作で機械化が進むのは、減反政策が始まった後です。その頃には農家も農業以外の仕事をした方が、生活が豊かになることに気付き始めていました。

関 耕うん機が普及し始めた頃、土壌・肥料の専門家の間で「耕うん機は糞をしない」という警句が発せられました。燃料費は兼業で稼げるけど、田畑に戻るものがなくなり、土が劣化する。それで70年代半ばになると、「土作り」という言葉が、堆肥投入と同義で使われるようになります。その頃になると、畜産業者の間では多頭化が進んでいましたし、補助金で堆肥組合もできました。それで土壌診断もせずに、過剰に堆肥を入れてしまう。さらに80年代に入ると、大型機械による踏圧の問題も出てきました。

大泉 農業の機械化が労働を軽減したのは事実ですが、私は一連の流れは「ムラ社会からの脱却」だったと考えています。機械化以前の農村を調べてみると、結いなどに関して色々トラブルがあったんですよ。下層農家は、束縛されるぐらいなら兼業で仕事に出たい。上層農家も軋轢の中で集団栽培を組織するのは面白くない。結局、上層農家が田植機を買ってしまう。そこから機械化が進展したのではないかと。

村井 要するに、家族労働で稲作ができるようになったということですよね。

大泉 そうです。自己完結型の経営が可能になり、直系単婚家族による自作農が完成したわけです。私は、この時点が戦後農政の終結点だったと思っています。本来なら、70年代に市場原理への転換が必要だったのではないでしょうか。

「民生機械」であったがゆえの功罪


昆 耕うん機が最初に世の中に出た時は、産業機械でしたが、高度成長が始まると、農機はどれも民生機械になってしまいます。兼業農家は外に働きに出るために機械化をするし、年に3日しか使わない人のための小型コンバインが自動化レベルを高めていく。一方で、産業機械としての大型コンバインの開発が進まないというズレが生じました。

村井 機械化によって、農家の総作業時間は稲作の場合で10分の1、畑作の場合で5分の1に減りました。これはすごい技術です。しかし「機械化貧乏」といった現象が起き、「3ちゃん農業」「日曜農業」も目に付くようになりました。機械化に功罪があることは否定できません。

大泉 民生技術であったがために、機械化によって、農家の創造性が失われ、与えられる技術ばかりが入ってきたとも言えるのではないでしょうか。隣の人が買うから、うちも同じものを買うといった発想やマニュアル通りの施肥もそうです。兼業化について言うならば、72年の農業白書に「混住化」というキーワードが出てきます。が、今や農村の中での農家の割合は1割ほどです。しかも意識としては都市に従属している。

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