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新・農業経営者ルポ

これからの農業は“企画力”の勝負


規格は自分で作り、それに合う相手を探す

 もともと、伊賀市は小倉さんの地元ではない。京都の都市近郊型農家の次男として生まれ、20歳のとき、伊賀市にやってきて就農した。

「おやじは、いわゆる篤農家。種苗会社とも付き合いがあって、その関係者から、伊賀市の圃場と家をまるまる買ってブロッコリー採種をやらないかと話がきた。それで『おまえがすんのやったら買おうか』と、おやじが買ってくれたんです」

 ところが、ブロッコリー採種を始めて2~3年経つと、自身が病気や湿疹に悩まされるようになった。結婚し、生まれた子どもが障害を持っていたことも手伝って、化学合成農薬を使わない農業に興味を持った。

「農業どうしようかな、面白くないし」と思っていたとき、新聞で、愛農大学講座の広告を見つけた。「有機農業についての基本や理念についての講座。知らない世界やし、行ってみようと。行ってみて、自分自身も十分取り組めると思った。今のようなJAS有機認証もなかったし、まだ虫が食ってもゴメンと言えば済む時代だった」

 採種面積を減らしながら、徐々に他品目の有機栽培に切り換えた。販路としてアプローチしたのは、名古屋・大阪圏の生協や消費者団体。

「うちのおやじは、市場出荷だったんです。そうすると産地には勝てない。それで生協を考えた。生協から100欲しいと言われたとき、300作っておいたら100は供給できるやろうということで、規模拡大が始まった」

 契約数量の供給責任を達成しながら、契約枠を広げてもらい、それに伴って借地を増やし、経営面積を広げた。現在、経営面積は10ha。主な取引先は、1000人規模の小さな消費者団体から、30万人規模の生協まで4団体。このうち2団体との契約は、品目おまかせのボックス野菜で、約250軒に毎週出荷する。これが谷農園の基本的な運転資金になる。もちろん、品目指定の共同購入スタイルでの契約もある。

「今まで販売に困ったことはない」と小倉さんは言う。

「みんな、商品化できないから、規格に合わせたものを作ろうとするんですよね。逆に売り方を考えればいい。機械的に、効率的にやって規格物をきちんと作るか、規格を自分で作って向こうに合わせさせるか。あるいは、こっちの規格に合う相手を捜すか。その違いです」

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