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新・農業経営者ルポ

土をパートナーに、技術を誇りに

 現在の技術体系において、伊藤はプラソイラ、プラウ、バーチカルハローを「三種の神器」と呼ぶ。大豆作・小麦作双方で、「この3つは欠かせない」と語り、レーザーレベラーの導入にも関心を強めている。現状では1枚当たり最大30aほどしかない圃場を、いずれは大きく広げたいという願望があるからだ。

 採種圃の水稲・大豆は言うまでもないが、収穫物については、とりわけ選別過程にこだわりを見せる。

 「全体の中から悪いものを取り除いて出荷するっていう考えには満足できないんだよ。確かに悪いものを除けば、良いものが残るはずだけど、『はず』を誰が保証する?俺は全体から良いものだけを選んで出荷したいんだ」

 2000年、地域で共同の大豆乾燥調整施設を建設した。その際には、主導的な役割を果たし、こうした考えをメーカー側や周囲に訴えた。

 「正論のつもりだったけど、ケンカもしたな。こっちは裁判で鍛えているからね。しゃべらせたら誰にも負けない」


日系パラグアイ移民から学んだこと

 岩手県からは、戦後、南米パラグアイに多くの人々が移住した。現地には日系人社会が形成され、農業の先駆者として活躍する人たちも多いという。

 伊藤のいとこ6人も移民として彼の国に渡り、南部のピラポ市で農業に携わった。移民と留守家族という関係は長く続き、2000年、ピラポ岩手県人会が設立40周年を迎えた際、伊藤は記念式典に招かれた。それがパラグアイの畑作にふれるきっかけとなった。

 地球の裏側で穀物や肉牛の生産に勤しむ日系人の姿には、感銘をおぼえたという。

 「食料を生産する農民の使命と誇りを強く感じた。共済も保護政策もほとんど整備されていない。そんな厳しい環境で鍛えられた技術は、我々よりも数段上だった」

 特に目を引いたのが、土壌の流亡を防ぐための不耕起栽培だった。「彼らは『ジレクト』って言っていた。ダイレクトつまり直播っていうことだと思う」

 この方法を基に、伊藤は独自の立毛間播種を思いついた。東北のような寒冷地では、大豆と小麦の作期が20日間ほど重なる。同じ年に大豆から小麦へと転換するのは非常に困難だが、収穫前の大豆の条間(立毛間)に小麦を播種できれば、ローテーションが自在にできるという考え方だ。

 帰国後、すぐに試したのは、播種に動力散粉機を使用する方法だった。播種時期と播種量に差をつけ、計約4haに小麦を播いた。覆土はせず、大豆の落葉を利用した。その結果、一部に発芽不良が見られたが、平均反収220kgを上げた。その後も同じ方法を取り、昨年は反当15kgを計1.5haに立毛間播種。反収は最高で439kgだった。

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