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新・農業経営者ルポ

マルハナバチに託す部会3代、夢の系譜

34年前、わずか6戸でトマト栽培を始め、今や夏秋トマト日本一の産地になった北海道平取町。授粉にセイヨウオオマルハナバチをいち早く導入して減農薬と省力化を果たしたことが急成長の原動力だった。外来種であるこのハチは来春、厳しい使用条件が法的に課される見込みだ。同町はこの危機にも迅速に対応し、全国のモデルケースになりつつある。活動の中心に立つのが平取町野菜生産振興会トマト・胡瓜部会の糸屋新一郎部会長だ。(松永和紀)
 平取町は北海道日高山脈の西側、沙流川流域の肥沃な地帯にある。比較的温暖で降雪は少なく、アイヌ文化が栄えて、明治以降は米どころとなった土地だ。糸屋新一郎はここで稲(栽培面積4.6ha)とトマト(ハウス28棟)を育てる。昨年までは同町米麦改良協会会長、今年からは野菜生産振興会トマト・胡瓜部会長だ。42歳ながら地域のリーダーだ。


ニシパの恋人と名付け、関西市場を席巻

 平取町でトマトのハウス栽培が始まったのは1971年。減反に伴って農家6戸でスタート、すぐに約40戸に。それなりの収入にはつながったが、ほとんどは道内消費だった。

 転機は86年。完熟型品種「桃太郎」を試験導入した。タキイ種苗がその前年に売り出した品種で、酸味と甘みのバランスが良くジューシーだが、熟しても果実がつぶれず長距離輸送に耐えるのが特徴だ。

 87年には部会ぐるみで品種を切り替え「ニシパの恋人」と名付けて売り出した。ニシパはアイヌ語で長老、紳士の意味。完熟トマトを毎日食べて健康に暮らす長老をイメージして名付けたという。

 品種と共に、自根で作ることも決めた。品種改良が進んだトマトは土壌病害に弱く、強い連作障害が出るため、普通はより原種に近い品種を台木にして接ぎ木栽培する。特に桃太郎は草勢が弱くて育てにくく、自根で栽培する大産地はほとんどない。

 一方で、自根栽培の方が品種本来の味と特徴を引き出せるという意見もある。そこで部会とJA平取町などが協議、しっかりと土を作って自根栽培する方針を定めた。

 味の良さにこだわったことで道外の評価が高まり、88年には販売額2億円を達成。特に味にうるさい関西圏の市場評価が良かった。九州など暑い産地の供給が途切れる8月に出荷できるのも強みだった。

 当時のトマト・胡瓜部会長、仲山浩らは大阪や京都の卸売市場にニシパの恋人を認めてもらって嬉しかったが、心配でもあったという。JRのコンテナで運ぶ時の振動で実が崩れはしないか? 長距離輸送で鮮度はどれほど落ちるか? 「矢も楯もたまらず、京都まで見に行った」と仲山は語る。

 不安が、農家自身のマーケティングにつながったのだ。市場関係者と顔見知りになり、市場がどんなトマトが望んでいるかを意識するようになったうえ、集めた情報はすぐに部会員で共有、良いトマト作りをみんなで目指した。

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