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新・農業経営者ルポ

父と地域と自分とで育てたブランド茶

収量が3割に落ちる大失敗 熟練農家に教わって起死回生


 1年目。鈴木は父親から一番良い茶園を任されて有機栽培を始めた。ところが、次の年から収量が3割に落ちた。2~3年は病気だ虫だと散々な状況が続いた。「全然なっていなかった、勉強してなかったんです」と鈴木は振り返る。

 それぞれの作業をどの時期にするのかという知識は一通り本で読んでいた。しかし身についていなかったし、なぜその時期にやるのかも知らなかった。結果を自分で目の当たりにしたときは、ただ、「しまったな」と思った。

 しかし、父親は、惨憺たる結果を見せられても何も言わなかった。ダメだなあ、という気持ちはなかったと言う。「本人が自分で始める気でいるんだ、やる気があればきっといい結果が出る」と息子を見守った。

 それから鈴木の奮闘が始まった。1年の仕事の流れがわかった後、もう一度本を読み返した。今度は、実際の作業と結果に照らして深く読めるようになっていた。それから遠くあちこちの農家に直接教えてもらいに行った。農家は栽培のプロでも、説明のプロとは限らない。言葉にならない部分を聞き、行間を読み、自分でアレンジを考えた。

 大きなポイントは刈り落としのタイミングだった。早過ぎると虫や病気が出る。遅いと秋に葉が伸びてこない。刈り落とした下の位置に葉があってそこから次が生えてくるよう、始めから仕立てを考えなければならない。また、木を若く保つには木の前歴が重要で、そのためには土作りが欠かせなかった。

 こうして3年ほどたって、徐々に茶の有機栽培は軌道に乗り始めた。


製茶メーカーの目に止まり有機茶葉のブランド化に成功

 この間の鈴木の奮闘振りを見ていたのが、春野町に隣接する森町の製茶メーカー(株)おさだ製茶の長田辰美社長だ。

 「地域で会社をやっているからには、地域のためにならなくてはいけない」―長田は個性的な商品開発に熱心で、96年には有機栽培の一番茶のみを使用した煎茶粉末を開発した。安全性という強みを活かすため、丸ごと飲める粉茶にした商品は大ヒットし、当時仕入れていた袋井市の生産組合だけでは数量が足りなくなった。そこで人を介して探したところ、鈴木に行き当たった。

 長田を驚かせたのは、鈴木の作る茶葉のうまさだった。有機栽培の茶葉はどうしても虫が食う。食われた時点で葉の酸化が進むので、リーフにするとどうしても味が良くないというのが常識だった。実は、その弱点をカバーするために煎茶粉末を開発した面もあったのだ。ところが鈴木の茶葉は上質だった。

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