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新・農業経営者ルポ

勇気一つ。世界へ突き抜ける日へ

借地できない土地柄ムラを越えれば世界が広がる  「とにかく面積。規模拡大しないとダメだと思いました」と、片岡は就農当時の心境を語る。自作地で採れたコメを直販すれば、そこそこの収入は得られた。実家のある地区に機械利用組合ができたため、オペレーターをしながら、自由に農機を使うこともできる。県内外の優れた経営者を訪ね歩き、栽培技術や経営手法についても貪欲に学んだ。

 あとは、面積。焦りにも似た気持ちから、「水田を貸して下さい」と印刷した折り込みチラシを作り、新聞販売店に頼んで2000枚まいた。だが、目論見は見事に外れた。

 「いいアイデアだと思ったんですけど、ダメでした。この辺には農地を貸してくれる農家がいないんですよ」

 片岡は少年時代、学校の同級生に自分の住む地区を「ざいご(在郷・田舎の意)」と馬鹿にされ、嫌な思いをしたことがある。「自分の家は田舎にあるのか」と、半ば驚きつつ傷つき、「しばらくは、友達を家に呼ぶのを避けるようになった」と回想する。

 この経験は地域の特徴をよく表している。福井市では水田地帯と市街地との距離がそれだけ近く、兼業農家と都市部の住民が、お互い背中合わせで暮らしているからだ。

 地主の農地に対する執着も、市街地からの「距離」が絡んでいた。

 「街に近いから、農地の資産価値が高いんです。地主さんにしてみれば、うっかり他人に貸して賃借権が付いたら、いざと言う時に売れない恐れがある。コメ作りは週末だけでも可能だし、だから米価が下がっても、後継者がいなくても田んぼは貸さない。そういう土地柄だったのかと初めてわかった」

 人づてになんとか3,2 haだけは借りられたが、その後は悩む日々が続いた。その挙句、ようやく目を付けたのが転作の受託だった。地主が麦を作った後に、大豆を作らせてもらい、土を起こして返す。そんなことができる所はないか。JA職員に仲介してもらい、片岡は市内の農家を回った。

 「びっくりしたことに、10ha、20haと簡単に集まった。どう頑張っても借地はできなかったのに、なんだこれ?って思いましたね」

 農地を任される以上、できるだけ信頼に応えたいと、畑作用の機械化に乗り出す覚悟も決めた。農機メーカー社員に誘われ、99年、フランスの農業展示会「SIMAショー」を見に行った片岡は、会場の熱気に圧倒される。

 「世界各国から人が集まってくるし、その中には日本人もいる。だけど国内の展示会とは来場者の意識が違う。展示品を見る目つきが違った」

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