ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

新・農業経営者ルポ

「誘惑を牽制する」という名の健全経営

 ただし、リスクを共有した株主同士とはいっても、会社と生産者の間での全量買取はいつも「損得の問題」がつきまとう。

 「ここでも秋川牧園の全員株主の経営参加制度が活きてくる」会社が儲からなければ利益が少なくなるため、株主である生産者への配当も小さくなる。生産者が大損したと思っていた年でも、会社が利益を大幅にだせば、その分配当も期待できる、というわけだ。

 事業に関わる人が皆株主になることのもう一つの強みは、会社の自己資本比率が安定することだ。秋川牧園の自己資本20億7000万円のうち、生産者とスタッフの持株比率は全体の65%に達している。それは創業者の秋川氏にとっては、事業理念を共有している人たちに経営が継承されることへの担保でもある。

 利益配分についても、明確な配分制度が決まっている。その年の利益を、一般のボーナスにあたる労務分配金に1/3、出資に1/3、内部留保に1/3をあてるルール。さらに、各自が自分の得た労務分配を三分割して出資に備える制度を育てたことが、株式の店頭公開につながっていったのだ。


父の理想農場を羅針盤に、「食べ物づくり」の道に活眼を開く

 秋川氏が追いつづけてきた「食べ物づくり」業には、原点がある。幼い頃に、中国・大連で父が追い求めた理想の農業の姿だ。息子として父を語る秋川氏の眼は、実に飾りがなく実に誇らしげである。

父の農場の前には渤海の浜辺が広がり、石で組んだトンガリ屋根には暖炉がありました。 リンゴ園のそばでリンゴ酒をつくり、ぶどう園にはワイナリーがあり、父は好きなビールをつくるためドイツから技術者を呼んできてました。

 色んな野菜をつくり、黒豚や鶏を放し飼いにし、パン工房があり、日曜日にはお客さんが3千人ぐらいいらっしゃって、海水浴のあとバーベキューをしたり、農作業を楽しんだりして…

 別世界を想わせる情景、60年以上前の父が経営した農園での記憶。それは、「農業という生き方だけが体現できる楽園と呼んでもいいような農園でした」と遠くをみつめる。

 父の農業理想の原点に回帰するまで、秋川氏の経営は、一路順風であったわけではない。


「秋川さんは経営者じゃない」

 個人創業前の22歳から40歳まで山口の養鶏組合で専務をしていた。

 大学卒業後、「養鶏の技術革新に生涯を捧げる」ことを決心していた秋川氏は、大学卒業後間もなくその組合に意見書を出す。「もっと品種改良を進めないと競争に生き残れない」と、具体的な経営改善策を記した提言書だった。秋川氏は、すぐに養鶏組合の専務に抜擢される。

関連記事

powered by weblio