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新・農業経営者ルポ

「誘惑を牽制する」という名の健全経営

 しかし、近代的な品種改良に取り組みはじめた組合に、「青い目の鶏」が襲ってくる。突如としてアメリカから効率が高く安価なハイブリッド鶏の輸入がはじまったのだ。弱小の組合が、世界一の競争相手と戦わなくてはならなくなった。雛が売れなくなり、収入が減り、200名の従業員の給料を払うための資金繰りに窮した。周りから、「秋川さんの責任」が問われた。役員会を開いても、解決法がない。最後にはいつも、30歳の「秋川さんが経営者ではなかったからだ」という結論にたどり着いた。その後10年間、数億円の債務整理に無報酬で当たることになった。

 債務の返済に明け暮れながら「本当に自分の経営が悪かったからかどうか、もう一度証明しなければならない」と誓う。挫折の中、自分の経営を振り返ってみると、「生き残りのために生産性の向上を追求すればするほど、大規模飼育、病気の多発、薬物投与の悪循環を起していた」ことが、「食べる人の立場から本来間違った判断であった」という結論に達する。債務整理の中、「父の理想農園への回帰」を決断するのである。


「間違ったものを口に入れてはいけん」

 父の農園のあった大連には、1930年代当時、大連消費組合という、生協の前身のような組織があった。秋川農園はトラックで野菜や卵や肉を宅配会員の日本人社宅まで配達していた。

 これが、秋川氏が事業の集大成として進化させているスマイル生活の原型である。同時に、日本人による食品宅配ビジネスの原型なのかもしれない。

 秋川氏は、父の技術と理念の2つの車輪「理想農場の建設」を、をみながら育ったという。父はビジョンを描きすぐに行動に移す情熱家であっただけでなく、篤農家の面も大きかった。

 当時は薬害や公害という概念がなかったにも関わらず、普及していたボルドー液やヒ酸液などをできる限り使わないように栽培管理に心がけていたという。そんな父から口癖のように聞かされていた言葉は、「農家は食べる人の命を預かっている」のだから、「間違ったものを口に入れてしまうようなことがあってはいけん」


消費者の信頼が国際競争力

 戦後まもなく、食料不足で農家は何をつくっても売れた時代、父は中学生だった秋川氏にこう語りかけていた。

 「実、まもなく世界中で農産物の国際競争がはじまる。そのとき、日本はコストで勝負したら絶対かなわん。国内農業の唯一の強みは、消費者と生産者が近い距離にあること。消費者と信頼関係をつくって安心の食べ物づくりをすることこそが、日本農業の国際競争力だ」

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