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新・農業経営者ルポ

私はまだまだ経営努力が足りていない

 「ニイチャン、ワカンネーカ。組合員の大事な田んぼをどこの馬の骨かわからないような奴に任せるなんてことできないんだよ、農協は」

 それでも染野は諦めなかった。劣等生だった農業大学校時代の恩師を訪ね、紹介状を書いてもらった。仕事の合間に館林農協を訪ね続けた。諦めかけた11月末、館林農協から電話が入った。2haの収穫・調製をして欲しい人がいるという。染野にとっての初めての作業発注である。それが土地利用型農業法人・(有)ソメノグリーンファーム設立のきっかけだった。

 その頃の館林の水田はほとんどが10a区画。そんな条件の悪さだから染野も入り込めたのかもしれない。そして、刈り残しがあるなど、舘林の作業受託者の作業の荒さが染野には見えていた。乾燥・調製も張り込み量一杯にならないと乾燥を始めず、依頼農家の自分のコメだけで調製をして欲しいという希望に応えていなかった。プール処理されてのコメの納品。ひどい場合は納品は一カ月後というケースもあった。染野は顧客の気持ちを考えた。作業跡のきれいさに気遣い、遅くとも収穫3日目ごろには玄米を届けることを守った。

 最初の年(85年)は2haだけだったが、その翌年から4ha、8ha、16haと倍々ゲームで注文が増えていった。稲刈り時期は夜中まで仕事が続き、嫌になるほど依頼の電話が殺到した。組合長にあんな言葉で追い払われた染野なのに、その館林農協の農協便りで仕事ぶりが紹介されるほどになった。館林農協にカントリーエレベータができた時、農協はカントリーを使うよう染野に求めてきた。染野にとっても歓迎すべきことであったが、顧客農家が許さない。最後まで染野に仕事を頼みたいと言うのだった。

 染野の成功は単に作業が上手いからだけではない。請負をする農民としてではなく、事業経営者として顧客を考え、その満足のために当たり前の仕事をした結果なのである。しかし、地元での仕事が増え、さらに機械持込みで手伝ってくれる地元農家も出てきたことから、今年からは外部スタッフに仕事を回すことも始めた。もちろん、作業の質を維持するためにソメノグリーンファームとしての作業マニュアルは徹底させてある。


農家ではなく農業経営者として

 補助金でできた機械利用組織は、やがてそのほとんどが消えていった。地元でも染野に作業請負を頼んで来る人が増えていった。染野の丁寧な仕事ぶりゆえでもある。そして、かつて染野に作業を頼んだ人々のほとんどはすでに耕作を止め、今では地権者として農地を提供してくれる存在になっている。

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