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新・農業経営者ルポ

私はまだまだ経営努力が足りていない

 人生の成功とは、突き詰めると、己が思う通りの人生を送って最期の時を迎えることができることではないだろうか。何事かを成そうと思えばお金も必要だし、人に影響を与え、人を動かせる力も必要であろう。でも、お金や権力は人生や経営にとっての手段に過ぎず、それは目的ではない。にもかかわらず、人は金に振り回され、自らの小さな権力に酔うものなのである。人が墓に持っていけるのは、お金でも権力でもなく、思い通りの人生を歩んだことへの満足以外には何もないのに。そして、それは誰かとの比較で語られるものでもない。自らの人生を価値あるものにしたいと願い、そのために精一杯自分であることを生きることによってこそ与えられるものなのではないだろうか。

 染野の農業の始まりは挫折に始まった。ほかの農業大学校生と同じように、技術習得に夢中になることもできなかった。それ以上に、なんで自分は農業をするのかという問いに答えを出すことのできない自分に一人苛立っていたのだ。自ら目標や目的を見出すことのできない染野に、父・要は、農業後継者に対する後継者育成資金という、国が認め、世間的常識が認める恩恵を受けることを認めなかった。そして、要の下で出稼ぎを含めて人生と仕事を学ぶことを命じたのだ。要は優れたタバコ生産者であったが、その時代の関東の当たり前の農家だった。でも、要の中にある誇りを染野と一緒に働くことで、その背中で見せていたのだろう。そして、同級生たちが後継者育成資金を得てハウスを建て、「篤農家」への道を歩んでいるのを横目に見ながら、出稼ぎに行き、断られながら請負の仕事を得るために営業に走り回り、染野は「農業経営者」として「徳農家」として自らの生き方に目覚めていったのだ。


染野の笑顔は優れた情報センサー

 染野はどんなときでも人を和やかな気持ちにさせる笑顔を失わない。そんな彼の周りにはたくさんの友人や応援者たちがいる。人柄である。染野は彼らの助言を素直に聞き、しかも、新しい事業に果敢に挑戦する。20数年前、麦が立ち枯れ病で規格外になったときに、有機物循環の必要、深耕や反転耕の価値を教えてくれた普及員やスガノ農機の社員たち。乾田直播を一緒に研究した仲間たち。そして地域の付き合い。今取り組んでいる技術や販売先のほとんどは、そんな人々に教えられ、紹介されて始めたものがほとんどだ。

 本誌にヒントを得て4年前に始めたジャガイモ作り。その受け皿となる集荷業者や生産者仲間。ジャガイモについては導入初年度目から5haで始め、初年度から4tを越す収量を上げ、同社の稼ぎ頭のひとつになっている。ソバはジャガイモの後作で間に合う。緑肥と考えればよいのだと教えられて始めたドリルシーダで播く陸稲も、手間もコストもかからず6俵は獲れる。価格も悪くはない。小麦を含めて、これらの作物があることで、畑では4~5年の輪作が可能になる。

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