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土門「辛」聞

石破発言は農協改革の覚悟あってのものか?

 米政策改革大綱は、農協改革と動じ並行的に進めるべきであったが、農協改革が改革大綱の伴走役を務めることができなかったことは、農政がもっとも反省しなければならぬ点である。それぞれの農協が品質と価格の両面で切磋琢磨し、激しい産地間競争を繰り広げることは、それこそ米政策改革大綱が目指す方向のはずである。

 石破大臣の発言。少々気になるのは、減反に協力したことが「善」で、協力せぬ者は「悪」という二項対立的な括り方に聞こえてくる点だ。生産調整には、善とか悪とかという区分けはなく、ただ売れる米作りに勤しむ者はコメをどんどん作り、売れるコメが作れぬ者は産地づくり交付金をもらって他作物に転作すればよい話なのだ。

 その結果として、両者に収入面で差がつくことは、市場経済では、ごく当たり前の話になる。両者が収入面でまったく平等にせよというのは「絶対平等は不平等の始まり」のようなもので、カール・マルクスでさえ「各人は能力に応じて働き、各人は必要に応じて、(成果を)受け取る」(ゴータ綱領批判)と喝破している。

 大臣の耳に達しない現場の話も紹介しておこう。先の地域水田農業推進協議会で農協と渡り合った生産者たちは、この厳しいご時世にもかかわらず、契約栽培のオファーが引きも切らないという。彼らの品質なりコストがマーケットで評価されただけのことである。農協界も然り。東北某県の某農協は、買い手からのオファーが多数あり、県内の米不適地の農協から減反面積とのやりとりで増反している。

 石破大臣の「減反見直し」発言を受けて、井出道雄事務次官が記者会見(同8日)で補足説明している。「この生産調整については、いろいろ毀誉褒貶があるわけでして、実際に、いくら努力してもコメ以外のものが作りにくい湿田で、麦・大豆を作っても100kgもとれないとか、そういうようなところも現実にありますし、やはりコメを作った方が簡単だし、儲かるというような理由で、生産調整に入っていただけない方もたくさんおられます。一方では、真面目に生産調整に協力してくれている多数の方からは、こんなに努力をしているのに不公平ではないか、という気持ちもあります……(中略)……やはりポイントとしては、これまで真面目に生産調整に取り組んでこられた方々には、やはりしっかり報いていかなくてはいけない。それから、それが自給力の向上や担い手農家の経営安定につながるものでもなければいけないと、考えております」

 井出次官は、食糧庁最後の計画流通部長として、米政策改革大綱の策定(平成14年)にも辣腕を振るった。省内でもコメのエキスパートだ。生産調整問題の難しさを端的に指摘されている。

 生産調整は、決して不平等や不公平というアングルからとらえるのではなく、適地適作とマーケットに委ねるという方法でしか解決策はないのではないだろうか。湿田にいくらコメを植えさせても、マーケットで売れるようなコメは決して作れないし、そんなことは自然の摂理に反する。

 米問題は、つまるところ農協問題に逢着する。農協組織の大改革なくして、米問題も解決もしないし、農政の大改革もあり得ないし、ましてや自給率向上など望み得ないと思うのだが。

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