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初めてのジャガイモ作り
筆者が叶野に始めて会ったのは、1995年の7月。旧藤島町内に住む本誌の読者グループが開いた集まりの時だった。庄内平野の典型的な水田地帯である同地域。集まったメンバーは水稲あるいはそれに園芸を加えた経営の人ばかり。そのなかにひとり、叶野だけが羽黒山の山中に開かれた畑で野菜を作る畑作農家だった。
驚いたことに、同じ町内の事業的農家でありながら、叶野はほかの人々と親しく口をきくのはそれが初めてだと言った。叶野は決して人を拒むような人物ではない。彼の住む集落がかつて別の農協に属していたことや、作目の違いもあるのかもしれなかった。それより、ひとりでもわが道を行くという、強い独立自尊の精神が人を遠ざけていたのかもしれない。
その席で叶野はポテトハーベスタの導入について相談に乗ってほしいと言ってきた。当時、筆者は府県での北海道型体系による契約ジャガイモ作りを推奨していたからである。叶野が得ていたポテトハーベスタに関する情報は、本誌に紹介される記事や広告だけ。それを頼りに北海道のメーカーからカタログは集めていたが、ポテトハーベスタなど見たこともない。取引している農機具店からは、サツマイモ用に販売され始めていた松(株)のポテカルゴをテストしてみようと勧められているという。
だが、今でも府県の農機店では、大型体系のポテトハーベスタに関して知識のある店などほとんどない。ポテカルゴで4haのジャガイモの収穫作業体系をどうやって組み立てるというのだ。作業能率の限界はともかくとして、その後のジャガイモの搬送の問題は考えに入っていないのだろう。
「茨城に北海道のハーベスタを持っている人がいます。それを貸してもらうように頼むから、ともかく頼んでいる機械は止めるべきです」それがその時の筆者の助言だった。
しかし、ハーベスタの準備もないままに4haのジャガイモを植え付ける叶野。無謀にも思えるが、見る前に跳べるような叶野の人柄に触れて嬉しくなったのを覚えている。
叶野に連れられて行った畑を見てさらに驚いた。イモ作りはほとんど初めてだというのに、傾斜のある山の畑約4haにジャガイモが一面に花を付けている。その植え付けは、鋤柄農機㈱の管理機用ポテトプランタをトラクタのツールバーに2つ着け、2畝にして植えたのだという。管理機用のプランタなら種イモを入れるホッパも小さい。4haの傾斜畑で何回種イモを補給したのだろうか。多分、叶野の妻・明美(55歳)が種イモを入れた容器を抱えてトラクタの後を追いかけながら供給したのだろう。
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叶野幸衛 カノウコウエイ
野菜農場叶野
代表
山形県生まれ。庄内農業高校の定時制を卒業後、一度は就職。1975年に実家の農業を継ぎ、タバコ作で畑作農家としての人生を始める。その後、約10haの畑でジャガイモ、ニンジンなど畑作野菜の栽培に取り組む。
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