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新・農業経営者ルポ

成田からアジアの食卓へ 海外から始まった宅配事業


普及員のままでは目的は果せない

 デコポンの設立は、1993年4月25日。千葉県の3人の有機農産物生産者とともに同社を立ち上げた井尻自身は、愛媛県の柑橘農家の次男である。静岡大学を卒業後、愛媛県の農業改良普及員の道を選んだ。しかし、普及員になって7年目、30歳の誕生日を機に井尻は公務員を退職する。

 普及員時代の井尻は、農家に「指導する」という職業的立場に悩み続けていた。様々な技術や行政が考える生産者支援に取り組んではいても、それが本当に農家のためになっているのだろうか。もし、自分のしてきたことに意味があるとすれば、それは「農業は未来がある、夢の持てる仕事なのだ」ということを伝えようとしたことだけだったと井尻は言う。しかし、それを理解してくれる農家はほんのわずかしかいなかった。焦燥感に苛まれながら井尻は思った。農家にとって一番必要な指導があるとすれば、それは作ることより売ることの意味や意義を伝えることだと。それも、現代の社会やマーケットを理解し、それに応えて顧客に必要とされる現実の“商売”を一緒にやらねば駄目だと思うようになっていった。

 職場の人々はもとより、両親を含めて井尻が出会う99%の人が、彼の目標に「そんなことはできやしない」と反対した。ただひとり、地元の農家で井尻に共感し、励ましてくれたのが、(有)ジェイ・ウイングファーム社長の牧秀宣だった。

 その後10年以上経ってデコポンの事業が安定した頃、ワタミファーム社長の武内智の引き合わせで井尻は牧と再会した。愛媛時代に一度会った程度の仲ではあるが、普及員を退職することを悩み、夢と理想しかなかった若き日の井尻の背中を押してくれた唯一の人物である。何も語らなくても、井尻が体験してきたであろう困難を牧は見通していた。それも、心からの共感を込めて。再会の場で牧は、井尻の手を強く握りしめてくれた。井尻は心ならずも涙が出てくるのを抑えられなかった。そして、人生の幸運をつくづく感じた。

 デコポンの昨年度の売上は8億5000万円。今期は10億円を目標にしていたが、経済危機が原因して急激に失速したこともあり、9億円程度にとどまりそうだ。

 現在の取引先は、ワタミなどの外食のほか、生協、こだわり野菜の小売業、オイシックスなどの宅配業などが中心。それ以外に、加工品原料や学校給食、自社独自の宅配などが加わる。

 従業員は12名の社員と15名のパート。それに会員の農家で修行する研修生が常にいる。彼らはすべて非農家の出身で、すでに17名が研修を終えて農業を始めている。

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