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特集

農家の給与

○2 給与・所得が上がる農場のなぜ? 農業法人のトップに聞く成長と昇給の仕組み

 人材難に悩む農業法人は少なくないその大きな理由は、従業員が望む待遇条件と農業法人が提供できるそれとに大きなギャップがあるからだ。そんな中、従業員に対して一定の収入を約束し、昇給も実現している農業法人もある。ここでは、そのトップに従業員および自身の収入に対する考えを聞いた。


【雇用条件のよさは離職率の低さに裏打ちされる】

 琵琶湖畔、広大な水田地帯の一角に事務所を構える(株)グリーンちゅうず(滋賀県野洲市)は、作業受託を目的に1991年に発足した。総契約面積157haという大規模な圃場で、コメと麦のほか、大豆やキャベツを栽培している。

 現在の役員・従業員(社員)数は10名。平均年収は692万円である。

 「今のうちの社員は、農業をやりたいから入社したわけではないと思います。きっと地域の中小企業に勤めるのと同じような感覚だと思います。そのために現在の給与条件にしてきたのですから」

 と田中良隆社長が語る通り、同社の雇用条件は整備が行き届いている。福利厚生や就業規則はもちろん、給与規則にも明快な昇給モデルがある。年に1度の海外研修旅行も実施している。設立から17年間で退職した社員は、体調不良が原因の1人だけ。驚くべき離職率の低さが、社員が安心して将来設計を立てられる環境であることを物語っている。

 大卒初任給は月17万200円。これは百円単位まで野洲市の公務員と同じ設定だ。機械の修理スキルやマネジメント職などに対する職責手当はないが、扶養家族がいる場合は配偶者1万5000円、子ども1人あたり5000円の家族手当がつく。加えて夏は2カ月、冬は3カ月分をベースに賞与が支給される。

 昇給は年1回で、おおむね年間12万円のアップ。昨年実績で、最年少の25歳社員で年収380万円、36歳社員では580万円を支給したという。

 「少なくとも滋賀県内の農業法人のなかでは、トップクラスの条件ではないか」と田中社長は胸を張る。

 そもそも同社は、リタイア農家が所有する農地の受け皿となるべく、農協の営農課長だった田中代表が独立する形で立ち上げたもの。琵琶湖畔には耕作に適した広大な平地があるが、同社のある野洲市は大阪まで1時間、京都まで30分という土地柄、農家の兼業化率が高く、昭和の終わり頃から農地が動き始めていた。

 兼業農家の高齢化に伴って同社の契約面積も右肩上がりに増え続け、発足当時20haだった圃場は2003年に100haを突破。前述の通り現在は150haを超えている。それに比例するように、発足当時3人だった従業員も「10〜15ha増えるごとに1人増」(田中社長)というペースで増やしてきた。

 一般的に穀物栽培では年間を通して仕事量を平均化するのが難しく、周年雇用に支障をきたすことが多い。同社の場合も転作を行なうことで、転作奨励金を手に入れると同時に効率的な作業ローテーションを組んでいるが、同じコメでも多品種を導入することで、さらなる効率アップを図っている点が興味深い。

 ちなみに売り先は4割が大手の米穀卸などで、牛丼などの外食に利用されている。残りのうち3割が農協、2割が地主で、1割が地元の保育園給食や料理店だ。スケールメリットを追求する大規模経営だけに、管理コストのかかるエンドユーザーは狙わず、大口の顧客を確保しているのも特徴である。

 「野洲市内の農地のうち、我われが預からせていただいているのは6~7%にすぎず、まだ規模拡大の余地はある。たとえば水管理などの簡易作業はシルバー人材に任せ、社員はマネジメント職にシフトさせていきたいので、単純に同じペースで正社員を増やすわけではないが、今後も契約面積の増加に応じて雇用も増えていくのでは」(田中社長)

 大規模であればこその事業モデルではあるが、今後各地で農地の集約が進むのは自明の理。経営理念の実現と人材評価のアップという好循環を成しえている好例として、参考になろう。


【3期目で黒字転換、経営者の年収は120万円アップ】

 すでに創業17年の歴史を持つグリーンちゅうずとは対照的に、今年3月で4期目を迎えるという、創業して間もない農業法人のトップ、およびその従業員は、どのぐらいの給料を手にしているのか。

 「昨期ようやく黒字転換したばかりですので、参考になるかどうか……」と控えめに話すのは、三重県伊賀市で23haの水田を経営する㈲ファーム松宮・宮浦清巳社長。同社では関西圏ではブランド米として認知されている、伊賀米(コシヒカリ)を生産・販売している。全量を売り切っているが、販路の多くを大阪にあるレストランや料亭などの外食、また「人脈が広いみたいで(笑)」という宮浦社長の人柄もあって、口コミで知った個人客からの注文も多い(ネット通販は行なっていない)。ちなみに、宮浦社長は32歳、女性の農業経営者である。

 農家出身でもなく、大阪府出身・在住で伊賀の地とは接点がなかった宮浦社長。ただ、伊賀には、たまたま父親の家と2ha弱の農地があったこともあり、起業する。資金は「会社経営をしていた父親の退職金を借り受ける形」で、倉庫や農業機械など設備投資を行なった。第1期の年商は2500万円。第2期もほぼ同じ数字であった。

 「当時の年収は240万円ぐらい。3名いる従業員も私とほぼ同じ額でした」

 その頃の経営規模は、13ha。借地をしようとしても、なかなか地域からの理解も得られなかった。しかし、一昨年以降、「徐々に農地も任せるといってもらえるようになったのが大きい」と、宮浦社長。昨年度は年商3000万円を達成。本年度は年商3200万円を見込んでいる。

 「従業員に夏冬のボーナスを10万円程度と、わずかですが出せるようになりました。5万円ぐらい昇給もできるようになりましたね。私自身の年収は360万円になりました。『経営者なんだからもっともらえば?』という意見もあるかと思いますが、売上に占める人件費率はほとんど変わっていません。次なる投資のための準備の方は大事だと思っています。でも、会社が成長すれば、そうですね500万円ぐらいは欲しいかな」

 「あと2haぐらいで規模は十分」と一定のめどがついている。その後は自社生産の伊賀米を使ったおにぎりを提供するカフェを出店するなど、生産・販売以外の事業を展開していきたいとのこと。農業経営者としての給料が現時点で低くても納得ずくなのは、将来の経営目標を本気で実現させたいから――。宮浦社長からは、静かな意気込みが伝わってきた。

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