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新・農業経営者ルポ

目線の揃う需要者との連携こそが食文化を守る

 同じ品質のはじかみを人件費の安い中国で作って輸入されるというのであれば、生産者にとって悔しくともまだましである。だが、本家本元とは似ても似つかない人工着色された加工品が、圧倒的に安い価格で大量に流入し、それを食の職人たちが選んでいく。すでに若い板前のなかには、本物のはじかみは茎そのものが真紅の色合いであることを知らない者がいるかもしれない。その結果なのか、愛知県のはじかみ生産は今や風前の灯のような状況に追い詰められている。まさに悪貨が良貨を駆逐しているのである。

 一般的にいえば、安価な商品が出てくることによって、かつては特別な人々だけの食材であったものが大衆化していくという過程がある。それ自体は、一般的には望ましい変化ともいえる。大衆化によって本物への関心も高まるのが普通だからだ。しかし、はじかみに関しては粗悪な加工品が本物を滅ぼしてしまいかねないのである。


粗悪な加工品に負ける悔しさ

 木村は高校卒業後の就農以来、はじかみ作り一本でその農業人生を続けてきた。父の代に始まった木村家のショウガ作りは、木村が入ってその分だけ生産量を増したが、木村は一貫して大量生産よりも高品質を目指してきた。そのせいで就農以来、木村家のショウガ作りは文字通り儲かる農業だった。市場に出荷しても30本1束で千数百円から数千円という相場が続いていた。

 しかし、転機が1990年代前半に訪れた。中国からの加工品が圧倒的な量で輸入されるようになり、それまでの売上が半減してしまったのだ。

 木村の住む愛知県稲沢市は、古くからのはじかみ産地である。尾張名古屋という歴史的に有力な経済圏であり、海、山、川、そして農業から生み出される様々な食材に恵まれた地域だった。木村の家でも父親の代からはじかみの生産に取り組んできたが、今では木村の住む須ヶ谷郷の集落ではじかみを作るのは木村ひとりになってしまった。木村は言う。「かつてはじかみは儲かる作物でした。それが、一家揃って頑張って働いても、年間300万円にしかならなければ、止めざるを得ません。中国からの安いはじかみの加工品輸入が原因です」

 実は、筆者が木村と出会ったのはある講演会の席だった。いつもの通り、筆者はコメあるいは水田農業の現状について、農業界で語られるコメ価格が「安い」という認識ではなく、むしろ過剰な保護の結果で維持されている米価が日本のコメ農業を滅ぼしかねないという話をしていた。講演の最後に、木村は筆者の講演内容に対し、自らのはじかみ生産を例に前述のような異議を述べたのだった。

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