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Opinion

農業の近代化

  • 葡萄園スギヤマ  代表 杉山経昌
  • 2006年04月01日
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万物は流転する。輪廻転生は仏教の根源的思想である。動物も植物も大地から発し、生きて花を咲かせ死して土に還る。その屍かばねを栄養分として再び芽を出してDNAを子孫に引き継いでゆく。何億年もの昔から森林で海中でそして土中でその営みは続けられてきた。その循環サイクルの一部を切り出したのが農林業である。私のような従事者は、その循環サイクルというお釈迦様の手の平でただただ堂々巡りしてもがいているに過ぎない。
 万物は流転する。輪廻転生は仏教の根源的思想である。動物も植物も大地から発し、生きて花を咲かせ死して土に還る。その屍かばねを栄養分として再び芽を出してDNAを子孫に引き継いでゆく。何億年もの昔から森林で海中でそして土中でその営みは続けられてきた。その循環サイクルの一部を切り出したのが農林業である。私のような従事者は、その循環サイクルというお釈迦様の手の平でただただ堂々巡りしてもがいているに過ぎない。

 地球温暖化の議論が再び活発である。私も百姓で生活していると、体感的に異常気象が頻発していることを日々、感ずる。100年に一度の大雨や100年に一度の台風などなどが毎年襲来している。それらの災害も恐ろしいが、もっと恐ろしいのは、我々には理由がわからないのに作物が出してくるSOSである。今年、ここ宮崎県綾町だけだろうか、植えたダイコンは皆食べる前にとう立ちし、ハクサイはほとんど全株播かないうちに花が咲いてしまった。私の本業、ブドウ栽培の場合も同じだが、作物が受精を急ぐときは自身の生存環境が危機に瀕しているというメッセージである。

 石炭や石油を燃やすことは地球温暖化の観点から有害なことだと考え、山から切り出した材木を燃やし温暖化防止に寄与すると考えるのは、林業は循環サイクルの一工程だと考えているからである。私のブドウ園では、太い枝を縛るとき、以前はビニール紐を用いたが、今はワラ縄を用いている。また、テープナーと呼ぶ道具で細い枝を棚線に止めるときも、以前のビニールテープから紙テープに変えて、持続的農業LISA(低投入持続的農業)を心がけている。

 ちょうど一年前、「農で起業する!」という本を築地書館から出した。私自身、想定外の驚きであったが、1年を待たず12刷り2万部を優に越した。その間、読者から2500通のメールが来て訪問者も250名を数える。サラリーマンの冬の時代、「就農」したいとの声が多い。彼らは農業に「就職」したいとは言わない。一番嬉しかった声を多数の読者を代表して紹介する。

 「老父母が故郷で農業をしている。今まで〝そんな金にもならないこと止めておけ?と言っていたが、本を読んで農業に夢があることを知った。私が帰って親を助け、その夢を実現する」。彼らはここでも「起業する!」とは言わない。「帰農する」と言う。「就農したい」も「帰農する」も、輪廻の思想“大地に還る”に由来していると思う。

 訪問者のなかに京都大学の学生がいた。彼は起業家である。すでにふたつも農業法人を立ち上げた。彼の問題指摘は、人の移動を労働の流動と捉えたとき、他産業から農業へは移動しても農業から他産業への流れがなく、一方通行であることであった。これは農業を人が成長して行く過程、キャリアパスまたは経験の蓄積、と捉えられていないからである。例えば「私は農業に従事して輪作体系を組み立てました」と履歴書に書いたとき、その奥深さと努力と技術が他産業から見ても評価される、結果として労働は双方向の流動性を確保する。そのように農業を位置付け、情報化できたときに農業の近代化はなる。彼を応援している。

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