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【新・農業経営者ルポ】
サッカー少年が目指した農業経営者の道と彼を励ます家族の力
- 廣島農園 代表 廣島善典
- 第61回 2009年07月01日
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就農9年目のトマト農家
大分県宇佐市の廣島善典(38歳)は、22aの鉄骨ハウスでトマトを生産している。販売は農業を始めた時からすべて直売だ。最初は研修先のつてで名古屋のスーパーに出荷したが、今では地元スーパーへの販売と個人宅配を行なっている。
昨年の売上は約1500万円。しかし、後継者育成資金やスーパーL資金の融資だけで、まったくのゼロから設備を整えただけに、借金返済の額も大きい。収益は決して良好というレベルではない。それでも、トマトの食味の高さを評価するお客さんたちから「廣島さんのトマト」と言ってもらえる商品を作れるようになった。高齢になった父親の助けがあって成り立っている現状を考えれば、雇用も考えていかねばならないが、苦しかった借金返済もあと少しで終わる。
そんな廣島は、これまで夏場のハウスで作っていたメロンの生産を止めるつもりでいる。今年は勉強のために妻のひろみと一緒に各地の農家を回ってみたいと考えているのである。減収になるが、農業を始めて9年目、自分のなかでも一区切りをつけ、次のステップを目指そうとしているのだ。
サッカーひと筋で生きてきた
廣島は25歳まで中国光州にあるプロサッカーチームの選手だった。22歳のときに当時所属していた社会人チームで中国人コーチに誘われての中国行きだった。
3年間の中国でのプロ選手生活は、子供時代から夢見ていた通りの給料をもらって24時間サッカー漬けという日々だった。楽しかった。中国語もある程度は話せるようにはなったが、外国語に囲まれているだけに日本語が懐かしく、サッカーと同時に暇さえあればジャンルを問わず本を読み漁っていた。
廣島をサッカーにのめりこませたのは、『少年ジャンプ』に連載されていた「キャプテン翼」がきっかけだった。そして、三浦知良。世界で活躍するサッカー選手というだけでなく、その生き方を尊敬したのだ。中学を卒業して一人ブラジルに渡り、プロのサッカー選手になったカズ。困難があっても挫けず、夢に向かってチャレンジを続ける生き方。廣島もそんな生き方を送りたいと子供心に思った。
そんな廣島の心に生まれて初めて”農業”という言葉が浮かんだのは中国時代だった。遠征のために乗っていた汽車の車窓から見た中国の農村。小学生くらいの子供が水牛で代掻きをしている。あんな子供が一人で仕事をしている。その風景に廣島はなぜか涙が出てくるような懐かしさを覚えた。廣島が育った時代には、日本で牛や馬での作業など見ることはなかったはずなのに。そして「農家の生まれだった」と、それまで考えもしなかった自らの出自を思い出し、それがとても大事なものであると感じた。
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廣島善典 ヒロシマヨシノリ
廣島農園
代表
1970年生まれ。幼少の頃からサッカーに明け暮れ、1992年に中国にサッカー留学。1993?1995年、現地のプロサッカー選手として活躍。1996年に帰国後、農業を志し、愛知県渥美半島の農家で研修を受ける。1997年8月に就農。http://hiro-tomato.jugem.jp/
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