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新・農業経営者ルポ

サッカー少年が目指した農業経営者の道と彼を励ます家族の力

 学生時代からの仲間たちは、ことあるたびに集まって旧交を温めてきた。そのなかで廣島は、ほかの友人とは一風というより凄く変わった人物だった、とひろみは言う。自分のあるべき姿を常に考えていて、真面目というより自分自身であることに一所懸命な廣島。そんな彼を嫌う者はいなかったと話す。

 二人が結婚したのは5年前。ひろみは廣島が中国から帰って農業を始めたということを伝え聞いていたが、いかにも廣島らしいと微笑ましく思っていた。親がやっているわけでもなく、補助金を受けることもできないのに、農業に打ち込んでいる。でも、送られてきたトマトがおいしかった。そして同級生の集まりが沖縄であった時、なんとなく廣島と結婚することになってしまった。

 ひろみは沖縄で全国組織の行政を対象とした出版社に勤めており、収入も安定していた。結婚にあたって、廣島は家に入れられるお金は、まだ借金が沢山あるのでせいぜい10万円くらいだと言った。それは自分のひと月分の小遣いじゃないか。そんなプロポーズもなかろうと思ったが、昔からブラジルに渡ったカズを尊敬し、自らもサッカーのために中国まで行った廣島は人生を投げ出すような人ではないと思った。

 幸いにも全国組織である会社は、ひろみの結婚にあわせて、退職ではなく大分の事務所に転勤という扱いで異動させてくれた。彼女の収入は維持されることになった。でも、実際に廣島家に嫁にきて、廣島の経営が火の車であることはわかった。

 それでもひろみは、思ったことをやり続ける廣島、それを支援する両親、そして92歳になっても隠居屋敷に一人住まいし、自らあらゆる野菜を作って自給自足をし、素人ながらも短歌作りに没頭するハツヱに惚れ、そして尊敬するようになった。

 とはいえ、廣島の農業を手伝うことはしなかった。ある年、税務申告のために廣島と一緒に税理士を訪ねると、「これでは倒産ではないか」と言われた。両親が退職金をつぎ込むことで成り立っていた当時であれば当然とも思えるその言葉を聞き、ひろみはむしろ税理士に対して「なんでこの人の苦労がわからないのだろう」と思った。それは無茶である。税理士がそんな情緒的なら仕事が意味をなさない。ひろみは文字通り廣島の妻であり、家族になっていたのだろう。

 そんな頃、仕事の帰りに車のなかからハウスで働く廣島の姿が見えた。夏の暑い時期だった。熱気のこもるハウスで廣島が汗と土埃でドロドロになりながら床ごしらえをしている。その姿を見てひろみは涙が出てきて仕方なかった。廣島の生き様をその姿のなかに見たのであろう。ひとつのことを不器用にやり続けることしかできない廣島。ひろみはそんな廣島を愛おしいと思った。いや、それをやり通すことのできる廣島を見てではないだろうか。ほどなくしてひろみは会社を辞めた。子供も生まれた。少しずつ仕事も手伝うようになった。 

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